今回はequilibristaさんのブログ『投資の消費性について』からご寄稿いただきました。
■「国債の日銀引き受け」を読み解く際の注意点
・ 日銀が国債を買う
・ 日銀が国債の保有残高を増やす
・ 日銀が国債のリスク負担を増やす
この三つは、それぞれ意味が異なるのだが、パッとイメージが湧いてくるだろうか。日頃から債券に慣れ親しんでいるひとには当たり前の話でもあるのだが、このところの安倍総裁による、おかしな日銀法改正にかかる議論の中では、これらが混同されている場面も非常に多いので、解説しておきたい。
さて一般に、借金には期限がある。期限のない借金は、貰うことと同じだと言い換えてもよい。国債とは政府による(相手を特定しない)借金のことだが、これにも当然だが期限がある。つまり日銀が政府に貸しているカネにも、その保有している国債毎に、それぞれ期限があるわけだ。この100円の貸しは明日まで、別の100円の貸しは明後日までといった具合に。
で、明日になると、予定通り100円が返ってきてしまう。もちろん別の100円の貸しは、その翌日に返ってくる予定だ。100円が返ってきても、特に使い道がないときには、また貸すことになる。「じゃ2日後までね」とか言って、繰り延べるわけだ。もちろん翌日にも、そして翌々日にも、同じアクションが必要になる。要するに、貸している残高を保つためには、「貸す」アクションは継続的に必要になる。次々と期限は訪れ、カネが返ってきてしまうからだ。「買う」額を強調してみたり、無制限に国債を「買う」などとハッタリかました中央銀行もあるようだが、その残高を保とうと思うとき「無制限に」貸し続けるのは普通の話で、もちろん債券市場はそのことを理解している。ハイハイ無制限ねと。ヘイヘイ了解ですと。
他方で借金の長さだが、「こんど返すね」みたいな、おおらかな日常的な借金のイメージから類推すると、一見どうでもいいことのようにも思えるが、実は大きなマターである。「じゃ2日後までね」を繰り返して、貸し続けていたとしても、相手の返済能力が怪しくなってきたと思えば、2日後には貸し続けるのを止めて、別の相手を探すことが可能だ。しかし例えば「10年後まで」貸してしまうと、相手の返済能力が怪しくなってきたと思っても、逃げるためには、誰かに買い取ってもらう他なくなってしまう。もちろん怪しい債権は足元を見られる。「10年後に日本政府に100円返してもらえる権利ですか、50円なら☆買い取りますよ」と割り引かれてしまう。反対に、カネを借りる日本政府の側から見れば、「10年後」まで借りることができれば安心は増える。どんなに返済能力が怪しいと疑われても、少なくとも既に借りた100円だけは、どんなに市場で安値で取引されようとも、少なくとも借り続けていられるからだ。
さて、やっと日銀引き受けだが、つまり「おい日銀ちょっと貸せ」という政府による脅迫だが、さまざまな付帯条件によって随分と意味が違ってくる。例えば「おい日銀ちょっと貸せ」が、1)既存が返ってくる分だけね、2)期限は短くね、3)繰り延べは駄目、と決まっているとき、脅しているようで実は大した話じゃないことは、上記の事実から容易に類推することが可能だろう。日銀から見れば、「引き受け」のリスクは限りなく小さい。「日銀引き受けは既に行われている」とドヤ顔のニャンコ先生は間が抜けていて、政府から見れば、こんなのちっとも美味しい話じゃない。
他方で、同じ「おい日銀ちょっと貸せ」でも、1)俺が言った額な、2)末永くヨロシク、だとすれば大きな問題であることも明らかだろう。脅迫のスタートラインとしての建設国債が、どんなに金額が小さかろうが、これは枠組みの話であって、その意味するところは深刻だ。日銀に逃げ道はないからである。政府が中央銀行から逃げ道を奪う状況を、他の(政府に対する)貸し手はどう思うだろうか。財布の確保に必死になってやがると、あいつヤバいぞと、もちろん判断せざるを得ないわけだが、ここを肌で感じることが、そして貸し手としてのアクションを探ることが、ここ数日の議論と債券投資を理解するために肝要な点である。
執筆: この記事はequilibristaさんのブログ『投資の消費性について』からご寄稿いただきました。
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