シリア政府軍からの離反兵が奪ってきたという23ミリ対空機関砲=2012年7月25日

フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話を伝える連載です。

冒頭写真はシリア政府軍からの離反兵が奪ってきたという23ミリ対空機関砲。(2012年7月25日) 撮影 : 安田 純平

■シリア離反兵お迎え作戦への同行を企てる

「司令官が、お前いい奴だから連れてっていいってよ」

自宅へ帰る司令官を玄関まで見送って戻ってきた反政府武装組織「自由シリア軍(FSA)」の若者が言った。

普段寝泊まりしている部隊とは別の部隊を取材して以来、この部隊とも親しくなり、彼らの拠点に何度か通っているうちに、シリア政府軍からの離反兵を迎えに行く作戦への同行が許された。反政府側の軍事作戦の場面をまだ見ていなかった私はこの瞬間、ぐっと両拳を握りしめた。

シリア中部ラスタンで活動する反政府武装組織「自由シリア軍(FSA)」24部隊のうち複数部隊から1-2人が参加し、ラスタンが属するホムス県一帯のFSAを統括するホムス軍事委員会事務所から出撃するという組織的な作戦行動である。

同軍事委員会によれば、数万人規模に膨れ上がったFSA戦闘員の約半数は一般人で残りは離反兵だ。政府軍から戦力を奪うことになる離反兵の増加は、政権を倒せるかどうかの鍵となるだけにより重要だ。

離反兵は、反政府側へのお土産に武器弾薬を持ちだしてくることも多い。私が取材したある離反兵は、同僚50人を誘ったうえに、AK47を300丁と65000発の弾丸、ロケットランチャーRPG7を10門と砲弾30発、トラック備え付けの23ミリ対空機関砲1門と弾丸17000発を、ピックアップトラックや兵員輸送車など計9台に満載して部隊を離脱したといい

「隊長は、朝起きて自分ひとりとAK47が3丁残ってるだけと気づいてたまげたはずだ」

と得意そうに語っていた。

兵士の離反に気づくと政府軍は砲撃、銃撃をしかけてくるので、離反兵を迎えに行く反政府側も完全武装である。

この作戦に同行できれば、武装して行動する反政府側戦闘員の撮影ができるほか、新たな戦闘員や武器の確保の様子、離反したばかりの兵士のインタビューなど、反政府側武装組織の構造的な部分を一連の場面として取材できるかもしれない。

私は6月下旬にシリアに入ってから約3週間、反政府側が武装して作戦行動をとる場面には出会わなかった。シリア情勢に関する国連とアラブ連盟の合同特使を務めるアナン前国連事務総長が反体制派を含めた挙国一致の政府樹立を提案し、米国やロシアがその支援に合意するなどされていた時期である。

当時の最激戦地だったシリア第三の都市ホムスの市内は地上戦が続いていたものの、その他の地域で話題になっていたのはもっぱら政府軍基地からの砲撃やヘリからの空爆だった。攻撃の場所も規模も集中したものではなく、かなり散発的だった。

戦場らしい場面の取材としては、反政府側の攻撃を恐れてかなりの高高度を飛んでいるヘリや、基地の中から砲撃している戦車をかなり遠巻きに撮影するくらいだった。

そこで外国人記者は確実に地上戦に出くわすだろうホムスを狙って周辺に集まっていたが、ホムス市内の反政府側は、「取材と称して政府側のスパイが入り込む恐れがあるから」と外国人の取材を受け入れていなかった。

この当時シリアにいた外国人記者は「1カ月シリアにいるけど銃を撃っているところすら一度も見てないよ」「本当に戦争やってるのかよ」などと互いに愚痴っていたものだ。

こうした状況だっただけに、離反兵お迎え作戦に同行できることになって私の心は躍った。

「長い距離を歩くことになるし、何時間もメシも食えないよ。場合によっては戦闘に巻き込まれるかもしれないけど、わかってるよな。では明日の朝6時に、お前が居候している家にバイクで迎えに行くから用意しておけよ」

こう言われていた私は翌朝、5時すぎには起きて準備万端整えた。街はまだ静けさに包まれたままだ。どこか遠くで砲撃の音がなっている。起きてきた居候先のお母さんがコーヒーを入れてくれた。ちょっとした雑談をしてお母さんはまた寝に戻り、私は時計を眺めながらコーヒーをすすり、ビスケットをかじった。

結局、迎えは来なかった。6時すぎに例の部隊の拠点に行ってみたが、一緒に行くはずだった若者はおらず、事情の分かる人もいなかった。

数日後、居候先にやってきたこの若者は

「なんで来なかったんだ」

と私に言った。

「おいおい、俺が拠点まで行くって言ったのに迎えに行くから待ってろってお前が言ったんだろ」

「あっ、そうだった…」

まったくもって間抜けなかたちで貴重な取材の機会を逃してしまった。

これから戦場に向かうという相手に、こちらにまで気が回るよう期待するのは虫がよすぎるというものだ。密入国の私は携帯電話も使えないのだから取材相手と離れてはいけなかったのだ。

集中力を欠いている自分にひたすら腹がたった。

 

そうした自分のミスや取材相手との行き違い、相手の思惑などもあって取材は失敗の連続だったが、情勢が一変したのは、アナン前国連事務総長による調停が破綻することが決定的となった7月半ばころからだ。政府軍による市街地への攻撃が激しさを増し、戦車砲や空爆の発射から着弾、死傷者の搬送から野戦病院での応急措置、遺体の埋葬など、生々しい戦場の現実を連日のように目にするようになった。

7月下旬には、政府軍は反政府側支配地域への地上軍投入を開始した。地上戦が発生している最前線がどのあたりにあるのか、現地に入ればほぼ分かるほどの状態となった。

その最前線に突入するのかしないのか。記者としての決断を迫られていた。

シリア政府軍が基地として使用し、病院としては全く機能していない総合病院

※連載「安田純平の戦場サバイバル」の記事一覧はこちら

【写真説明】

(写真1)シリア政府軍からの離反兵が奪ってきたという23ミリ対空機関砲=2012年7月25日

(写真2)シリア政府軍が基地として使用し、病院としては全く機能していない総合病院。入り口付近に戦車がいるのが見える=2012年7月7日

安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト
安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei

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