この記事は佐藤健太郎さんのブログ『国道系。』からご寄稿いただきました。
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■16号の果て
「首都圏」という言葉にはいろいろな定義がある。法律的には山梨県を含む関東地方1都7県を指すらしいが、人によっては1都3県だったりもする。以前はスタバのあるところという説もあったが、今や茨城の片田舎にさえも平然とスタバがあるので、この定義も使えなくなった。
国道野郎たる筆者が考える首都圏は、「国道16号の通っている街まで」だ。これで、千葉、柏、春日部、さいたま、川越、八王子、相模原、横浜といったところがすっぽりと内包される。実際、都心から四方へ伸びていく国道(1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号・122号・246号・254号)など走っていると、国道16号のラインを越えたとたんにわかりやすく田舎になる。国道16号という道は、首都圏の縁取りとして実にふさわしいと思うのだ。まあ神奈川に関しては、もうちょっと広げて129号くらいのラインてもいいかと思うけれど。国道を走るということは、こうして日本の姿というものを自分の目で見つめることでもある。
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(画像 :16号エリア地図。)
というわけで16号の交通量は常に多い。ほとんどの場所で上下4車線以上が確保されており、保土ヶ谷バイパスなどは、6車線あってもずっと渋滞している。これだけの都市をつなぎ、都心からの放射道路を横に結んでいるのだから、当然といえば当然だ。
さて上の地図をご覧いただければわかる通り、16号は「東京環状」といいつつ完全な輪っかではない。東側は千葉県富津市で、西側は神奈川県横須賀市で海に当たって途切れてしまうのだ。環七・環八と並び、きさまも名ばかり環状道路かと言いたくなるが、まあ世の中そういうものだ。
で、この16号の 端っこというものを見たことがあるという方はいるだろうか。たぶん、マニア以外にはほとんどいないのではないか。あまりわざわざ行かない場所ではあるし、たぶん通っていてもそこが16号の終わりとは気づかないと思う。多数の車が行き交う幹線道路・国道16号は、末端付近で徐々に細くなってゆき、小さな交差点で溶けるように消えるのである。
千葉側は、富津市の富津交差点で文字通りふっつりと消える。いや、全力でオヤジギャグを放っている場合ではないが。現場に行ってみても、何でここで終わるのか、根拠は何なんですかといいたくなるような、どこにでもある小さな交差点だ。
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(画像 :画面奥が16号。手前及び左側は千葉県道255号。)
反対側の横須賀側はどうか。ふと思い出したので、久々に先日訪ねてみた。
16号の起点である横浜から南下し、大小の起伏とトンネル群を越えていくと、そこは港町横須賀である。ここらの16号は 幹線道路としての貫禄を示し、街の中央を走る4車線のメインストリートである。が、「救急医療センター前」交差点で、16号は突然裏道に追いやられ、メインストリートの座を134号に譲る。引退間際の選手がトレードに出される姿のようで、何か悲哀を感じぬでもない。
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(画像 :え?僕そっちですか?的に、裏道に入り込まされる16号。)
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(画像 :ここから管理者が変わりますという木製標識。相当年季が入っていそうだ。)
とはいえ16号はここからもしっかりと4車線を確保し、海沿いをゆく。そうそう、引退なんてまだ早いッス!まだまだやれるッスよ!てな感じである。
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(画像 :左手は東京湾。街路樹など、意外にもトロピカルムードをかもし出している。)
しかし、観音崎が近づくにつれ、様子が変わる。急な坂を上り下りすると、そこは小さな港沿いののどかな道だ。かつての幹線道路の面影はもはやないが、これはこれで素敵な情景である。
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(画像 :筆者の世代だと、大瀧詠一でも流しながら走りたい雰囲気である。)
で、終点となる「走水」交差点にたどり着く。250km以上を走る道の終点とは思えない、小さな交差点だ。この交差点から先は神奈川県道209号で、両端共に遥か格下の3桁県道にぶち当たって終わっているのは何やら切ない。
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(画像 :走水交差点。ここから先は県道。)
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(画像 :16号終点を示す唯一の物件。管轄ははっきりさせとかないとね!)
しかし、何でまたここが終点なのだろうか。どうせなら、三浦半島突端の観音崎まで行けばよさそうなもんだが……と右を見やった時、ああそういうことかな、と思える施設があった。そこは、防衛大学の訓練所だったのだ。このエリアには、他にも旧日本軍の施設が多く点在している。
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(画像 :「陸」の文字が入った小さな石柱があちこちにあった。陸軍施設であったことを示すのだろうか?)
実は国道16号は、もともと横浜~横須賀間だけを結ぶ国道であった。
明治以来、軍の施設へ続く道は国道と規定されており、16号はそのひとつだったのだ。似たような性格の道として、国道31号(広島市~呉市)、国道35号(武雄市~佐世保市)がある。この2本は比較的短いし、他の2桁国道に比べて大きな都市を結んでいるわけでもないので、何でこれが2桁?というイメージがあるのだけど、実は軍港へと続く道であったことが大きい。で、当初の16号はこれと似た性格の道であったわけだ。
しかし1963年、それまでの横浜~千葉間の国道129号(現在の129号とは違うルート)が統合され、小が大を呑み込む形でできたのが現在の16号なのである。そういう歴史的背景から、この走水交差点が今でも終点になっているんでは、というのが筆者の推測だ。いつか機会があったら、しっかり資料を調べてきたいところだ。
「有名人の意外な最後」みたいな話は面白いのだけど、道路も最後に来ると、他の区間とは違う表情を見せることがけっこうある。一本の道路を通して走ってみることは、こういう面白さがあるのだ。みなさんもたまには、近所の国道を最後まで追いかけてみてはいかがだろうか。全然想像もつかない街に出てみたり、とんでもない山道になっていたり、意外な発見があるのではと思うのだ。
※ちなみに、国道16号の起点・終点が富津・横須賀と便宜上書いたけど、これは見かけの起終点である。法律上、16号は起点・終点とも横浜市の高島町交差点で、富津~横須賀間は海上でつながっているというのが建前である。
執筆: この記事は佐藤健太郎さんのブログ『国道系。』からご寄稿いただきました。
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