フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話を伝える連載です。
冒頭写真はシリア反政府側の自治組織が運営するパン工場を安田さんが撮ったもの。(2012年7月6日)
■日本人とラーメンを食った「テロリスト」
「ドーモドーモ」
こちらの顔を見たひげ面男の第一声である。いったい何のことかと思ったが、そのまんま、日本語の「どーもどーも」だった。
シリアを旅する日本人は少なくなかったし、日本の政府開発援助(ODA)も盛んに行われていた。国中どこへ行ってもみな親日と言っていいくらいの親日国家であり、騒乱前であれば違和感はなかっただろうが、住民の8割以上が離散し、半ば廃墟と化した今のシリアの街で日本語を聞くとは思わなかった。
シリア中部のラスタンは1月に、市内の政府軍をすべて排除した反政府側の解放区となった。
以降、地元住民による自治が行われており、この男性はその総代表である。騒乱前は公営のスポーツセンターで所長をしており、日本の国際協力機構(JICA)から派遣された柔道と空手の講師を受け入れたこともあったという。
「ダマスカスの日本料理屋に彼らと一緒に行きましたよ。初めて触ったはしを使ってラーメンを食べようとしたら全部胸元にこぼれてしまって、大笑いされました。本当にいい思い出です」
ラスタンでの滞在中、会うたびに身振りを交えながらこうした話を懐かしそうに語ってくれた。
昨年4月に反政府デモが始まったラスタンでは、政府情報機関による銃撃でデモ隊に死者が出て以降、反政府運動が広がった。
政府軍は市内30カ所に検問所を設けて人々の移動を制限し、5月と10月に1週間前後の軍事キャンペーンを実施。3000人以上を「テロリスト」として拘束したという。メインストリートはスナイパー通りと化し、郊外の総合病院は軍が占拠したため市民は利用できなくなるなど、市民生活は困窮した。
反政府運動の参加者らは昨年6月、自治を行うための調整委員会をつくり、市内出身で武力闘争に参加しておらず、地域の人々に人望があるとみられる人物を100人選んでメンバーとした。この100人が互いに投票し、12の民生部門ごとの代表と、全体を束ねる総代表を選出した。
同委員会は軍事キャンペーンの摘発対象となり、メンバーは郊外の農村に潜伏した。地域の有志から集まった資金で市内に地下病院を設けるなどの業務を行い、本格的に活動を始めたのは今年1月の解放以降である。100人のうち16人は死亡、17人は拘束されて行方不明のままという。
自治組織は、以下の12部門で構成されている。
1: 地下病院を運営する医療部門
2: 政府軍の攻撃による被害を記録して海外メディアやネットに配信するメディアセンターを運営するメディア部門
3: 死者や拘束者、反政府武装組織「自由シリア軍」の参加者などのリストをつくる部門
4: 毎週金曜に行うデモ隊を組織する部門
5: 食糧配給部門
6: パン工場運営部門
7: 砲撃などで破壊された電線や水道などの補修やごみの収集を行う部門
8: 財政部門
9: 反政府運動を「テロリスト」とする政府の法律を独自に改定したほか、弁護士らが地域内の紛争調停をし、警察からの離反者を中心に市内の治安を守る法律・警察部門
10: 自由シリア軍との調整をする軍事部門
11: 自治組織への市民からの不満を聞き取る部門
12: 他の都市の調整委員会と連絡をとりあう外交部門
初期メンバーのほかに有志の120人余が参加しており、それぞれの得意分野で業務に携わっている。
医薬品や食料品などあらゆる生活物資の流入が政府に止められており、自治政府が独自に調達をしている。
シリアの中心近くにあるラスタンは古くから交通の要衝として栄えたといい、現在も自動車輸入業など運輸関連の業者が多い。親戚が日本の自動車メーカーで働いていたり、中古自動車の買い付けに何度か日本に来た経験があったりする人に複数人出会った。
そうした業者からの資金提供があり、ラスタンの自治組織や自由シリア軍は他の都市よりも比較的資金が豊富らしい。
月1000ドル余の予算で始まった自治は、7月の段階で月10000ドルを越えるようになった。地元出身の業者や湾岸諸国などで出稼ぎをしている地元出身者からの提供が99%を占めるという。
「6カ月ごとに選挙をやりたいが、住民が2割もいないのでできていない。5割くらいにはならないと。次からは18歳以上の住民が投票して新たな100人を選ぶようにしたい。住民のほとんどが親戚同士のようなものなので、誰が政府側の支持者なのかも分かっているが、人を殺すなどしていなければ政府側支持のままでも受け入れるつもりです。軍や警察、民兵だった人は候補者にはなれないが、最終的に離反したのなら歓迎する。民生部門で働いている人ならば離反する必要もない。腐敗のない自由な市民社会をつくることが目標ですから」
ひげの総代表は、スポーツマンらしい爽やかさでこう理想を語っていた。もちろんシリア政府や政府支持者からすれば、彼も「テロリスト」である。
他の地域にも同様の自治組織があるとは聞いたが、異なる宗教や宗派の住民がほとんどおらず、まとまりやすい地方の小都市のひとつのつたない事例にすぎない。まして国政レベルになるとそう簡単にはいかないだろう。
状況が悪化すればするほど排他的になっていく集団もでてくる。そうした集団が存在する気配は自分も感じているし、そのような報道もされている。しかし、自分たちなりに理想をもち、新しい社会づくりに取り組んでいる集団がいることもまた事実である。
【写真説明】
(写真1)シリア反政府側の自治組織が運営するパン工場。砲撃で死者が出たことから夜間にひっそりと操業している=2012年7月6日
(写真2)シリア反政府側の地下病院。自前で手術室も用意したが、医薬品の不足に加え、次々と運び込まれる患者の応急措置で手一杯なことから、手の込んだ手術は行われなくなった=2012年7月6日
安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei
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