キッスのフロントマンのポール・スタンレーが、バンドのサウンドを形作り、ギタリストとしての長いキャリアを形成する上で重要な役割を果たしたある男の死に追悼の意を表している。5月4日(現地時間)にこの世を去ったニューハンプシャー州のフレデリック・ルカート医師は、1982年にグレード3小耳症と呼ばれるスタンレーの先天性耳変形を治療した。スタンレーは、外耳が未発達で聴覚に障害を持った状態で生まれた。

ツイッター上でスタンレーは、「親愛なる友人、フレデリック・ルカート医師が95歳でこの世を去りました」「彼は私の肋骨から右の耳を作り上げ、正に私の人生を変えてくれました。神のご加護がありますように」と、語った。

My dear friend Dr. Frederic Rueckert has died at 95. He truly changed my life when he constructed my right ear from my rib. God Bless You. pic.twitter.com/DbcMdbIXAF

— Paul Stanley (@PaulStanleyLive) May 5, 2017



5回にわたる外科手術で、ルカート医師はスタンレーの胸郭から軟骨の組織片を取り出し、それらを耳の骨格に形成して皮膚移植した。

2014年、スタンレーは自伝『ポール・スタンレー自伝 モンスター〜仮面の告白〜』で、自身の耳にまつわる苦悩を綴った。

「私の頭の右側には断端以上のものは何もなく、耳管も閉鎖されていました。私は耳が聞こえませんでした」と、ロックの殿堂入りも果たした65歳のスタンレーは語る。続けてスタンレーは、「私は、どの方向から音が聞こえているのか分かりませんでした。さらに重要なのは、何かしらの雑音や会話がある場合、人々が何を話しているのかを理解することは信じられないほど困難でした。これらの問題よって私は本能的に対人関係を避けるようになりました」と、記した。

長い間、スタンレーは髪を伸ばすことで耳の変形を隠した。そして、キッスがその名をとどろかせる間、彼はセラピストのジェス・ヒルセン医師とその問題に向き合っていた。ニューハンプシャー州に住む外科医の記事を読み、ルカールを提案したのはヒルセンだった。当時、その手術は比較的新しいもので、主に子供への手術として使用されていた。

「私はいつも、ルカール医師がいかに私の人生を変えてくれたのかを表現しようとしました」と、30歳の時に手術を受けたスタンレーは語る。スタンレーは続けて、「ルカール医師は謙虚な人でした。数えきれないほどの子どもたちを、私が幼い頃に直面したような経験や混乱、終わりのない複雑な問題から救いました。彼は私に新しい人生を与える手助けをしてくれました。彼が引退するときロレックスの時計をプレゼントしましたが、彼がどれだけ私にとって大きな存在であるのかを伝えるための最良の方法は最後までわかりませんでした」と、記した。

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