かつて、小説家リチャード・ルッソは、ケイリー・グラントは汗をかいているように見えなかったのでアカデミー賞を受賞しなかったと考えた。ルッソは、「グラントは何事においても苦労の跡が見えなかった。楽しげでチャーミングな人物に、なぜに褒美を与えるだろうか?」と、綴った。
映画『ドクター・ストレンジ』で、14作連続でのオープニング週末興行成績1位を獲得した巨大なコミック出版社マーベルにも、同じ論理が当てはまる。マーベルは、かなり長い年月にわたって成功を収め続け、今回の興行成績も前もって予想できたと言える。成功を当然と考えるのは簡単なことだ。毎度のように高評価の批評を獲得しているにもかかわらず、スピルバーグ監督の映画『E.T.』や映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』と同じく、一般大衆向けの映画作品という点で、マーベルによる映画は賞レースには参戦していない。
これは残念なことである。マーベル・スタジオ社長のケヴィン・ファイギのもと、アイアンマンやアベンジャーズを生み出した同スタジオは、評価と興行収入のバランスがとれた素晴らしい手本を示してきた。同スタジオが公開した映画は、すべての作品が映画評価サイトRotten Tomatoesで「最高(fresh)」の評価を受け、自社制作作品はすべて収益をあげてきた。ケイリー・グラントのように苦労の跡が見えにくいマーベルだが、このような業績は極めてまれで、苦労して手に入れた功績である。
IMAXエンターテインメントのCEOグレッグ・フォスターは、「マーベルはどの物語にもユーモアを見出し、アクションや創造性、人間性を描き出す」 「成し遂げるのは簡単な事ではない」と、語った。
ハリウッドの誰もが望むように、マーベルが急速に頂点へ登りつめた手本となったのには理由がある。同スタジオは、シネマティック・ユニバース形成の先駆けであり、コスチュームを纏ったキャラクターたちはチームを結成し、戦い、単独作・続編・スピンオフ作品に至るまでの同盟を築き、シリーズを繋ぎ合わせながら絶え間なく拡張している。その過程で同スタジオは、一流の役者たちを巧みに映画へ組み込み、ロバート・ダウニー・Jr、ベネディクト・カンバーバッチ、クリス・プラット、ポール・ラッドのような俳優に興味をそそる役柄を提供している。
調査会社エグジビター・リレーションズの興行成績アナリストのジェフ・ボックは、「現在我々は、コミックを原作とする映画の黄金期にいる」 「マーベルは常にそれを次のレベルに引き上げ、他の人々に幸運をもたらす。マーベルは最高の人材の上に拠点を築いている」と、語った。
コミック原作映画の黄金期に、他のスタジオがこの流れに乗ろうとするのは止められないだろう。米ユニバーサル・ピクチャーズは、透明人間のようなキャラクターを主役に、壮大なモンスター映画のユニバースを構想している。一方で、マーベル同様に米ウォルト・ディズニーが所有するルーカスフィルムは、ハン・ソロのバックストーリーを開発し、反乱軍の初期を描くことで、はるか彼方の銀河系をさらに拡大しようとしている。映画『スター・ウォーズ』シリーズ初のスピンオフ作品となる映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、12月に劇場公開となる。
この模倣と関連して、そこには危険性が存在する。米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントは、スパイダーマンを中心に、その世界に登場する様々な敵たちをフィーチャーしたシネマティック・ユニバースを公開しようとしていた。しかしながら、2014年の映画『アメイジング・スパイダーマン2』の興行成績が振るわず、その野望は実現に至らなかった。同作にマニア向けの隠しネタとスーパーパワーの悪人を過度に詰め込むよう指示した同社に原因の一部がある。その結果、米ソニーは、間もなく公開となる映画『スパイダーマン:ホームカミング』ではマーベルと協力し、ピーター・パーカーと蜘蛛糸を飛ばす彼の化身のスパイダーマンの物語にコミック読者が再び関心を持つための方法を模索している。
DCコミックス原作の映画は、自社のジャスティス・リーグのシリーズを用いて、マーベルの芸術的才能を複製しようと試みたが失敗した。映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』、映画『スーサイド・スクワッド』は素晴らしい収益を記録したが、批評家は暴力的で退屈な作品と非難した。低評価の批評のおかげで、DCコミックスのチームは、今後の作品はトーンを明るくし、よりユーモアを提供することを約束することになった。
問題の一部は、指揮命令系統にあるかもしれない。マーベルには、明確なヒエラルキーが存在する。ケヴィン・ファイギがクリエイティブのトーンを決め、制作を通して大きな影響力を持つ。ファイギのリーダーとしての地位は、ピクサーにおけるジョン・ラセターの役割に似ている。ファイギは、企業の重役というだけではなく、マーベルの品質管理責任者でもある。
対照的に、DCコミックス映画の制作過程はより分散しており、意思決定のピラミッドの頂点に誰がいるのかが不明確だ。自社コミックの責任者ジェフ・ジョンズか、それとも米ワーナーの上級副社長であるジョン・バーグか、あるいは、『バットマン vs スーパーマン』のザック・スナイダー監督だろうか?その答えは様々なポイントで変化し、『スーサイド・スクワッド』を制作する上で悩みの種があったという報告の原因は、明確さの欠如だろう。
采配を振るうと同時に、ファイギは、スーパーヒーローのジャンルにおいて異なるアプローチを探求する勇気も持ち合わせている。コスチュームを纏った自警主義は普遍的だが、マーベル映画は、ストーリーテリングのアプローチにおいて多種多様なトーンを網羅してきた。映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は1970年代のパラノイド・スリラーを彷彿とさせ、映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は映画『インディ・ジョーンズ』シリーズに見られたのんきなポップカルチャー、『ドクター・ストレンジ』はテレビシリーズ『バフィー~恋する十字架~』と同様に、オカルトに対してひねりの利いたアプローチを採用している。
米ディズニーの配給部門チーフを務めるデイヴ・ホリスは、「どの世界も、どのキャラクターも、まったく異なる独自性を感じさせる」 「その多様性こそが、映画を新鮮で面白くさせている」と、語った。
ファイギは、マニアを除けば依然としてそれほど知られていない。ファイギは監督や脚本家ではないが、彼の年代で最も影響力のあるフィルムメーカーだと言えるだろう。映画の物語が互いに衝突して血を流し、複合的な章を横断して引き出されたストーリー展開を示すことで、ファイギは映画シリーズの可能性の限界を再定義してきた。それが、スティーブン・スピルバーグ、クリストファー・ノーラン、ジェームズ・キャメロンと並んで、彼を人気エンターテイナーのトップの座に押し上げたが、コミコン(Comic-Con)のホールHに足を運ばない人々にとって、ファイギの名前と顔が一致するのは難しいだろう。
ファイギは匿名のままを好むような印象を受ける。2014年に南カリフォルニア大学映画芸術学部で行われた演説で、時間の大半を舞台裏で過ごすのが好きだと明かした。
ファイギは、「私が年に1度コミコンを訪れるというのは本当だ。しかし、そこで私はすぐに照明を落とし、観客にクリップ映像を見せ、出演者を紹介する。そうすれば、すぐにスポットライトは私に当たらなくなる」と、語った。
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