「もう我慢したくない」一文で表現される初夜
正妻・葵の上の四十九日が明け、源氏は久しぶりに自宅の二条院へ戻ってきました。綺麗に掃除され、仕える人びとはみな美しく装い、目がさめるよう。源氏は紫の君の乳母の少納言がよく采配しているのに感心します。一方、喪服一色だった左大臣家の人びとが、今も悲しんでいるだろうと思うと哀れです。
紫の君は可愛らしく座っていました。横顔や頭の形は、恋しい藤壺の宮にいよいよそっくり。少しはにかんで微笑んでいる様子も上品で申し分なし。「しばらく会わない内にとても大人になったね。これからはずっとここにいるよ。うるさがられるかもしれないけど」。
乳母の少納言はその言葉を聞いて、嬉しくも複雑でした。「姫様を大事にしてくださるのだろうけど、立派なご身分の恋人が多いから、新しい正妻があらわれるかもしれない。安心はできないわ」。
源氏の「大人になった」という感想は、そのまま男女としての関係を意味していました。以前のようにただただ可愛がるだけでなく、男としての目線で彼女を見始めていて、早い話がそろそろやりたくてしょうがない…!
紫の君はもう14歳で、年明けには15歳になります。当時としては結婚適齢期に入っているので、手を出さずに我慢しているのが辛いなあ、という感じ。ちなみに、源氏は葵の上の四十九日は終えていますが、まだ喪中です(この時代、妻の喪に服すのは3ヶ月)。
紫の君と遊ぶ折に、ちょっと色っぽい冗談などを言ってみるのですが、彼女は何のことだかよくわからない。以前と同じように、お父さんかお兄さんのように思って、一緒に過ごし、同じ寝台で休んでいました。もう我慢したくない…。
ある朝、源氏は早く起きたのに、紫の君がいつまでも起きてこないことがありました。ひたすら、掛け布団代わりの着物をひっかぶっています。
「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり」。紫式部はこれだけしか表現しませんが、却って想像力をかき立てられる一文です。女房たちも2人の習慣は知ってるので、何か決定的な事が起こったとは思わず、具合でも悪いのかと心配しています。
誰もいない時に、紫の君が顔を出してみると、枕元には源氏の手紙がありました。「ずっとずっと一緒に寝ていたのに、2人の間にどうして何もなかったんだろうね」。
ああ、この人はずっとこういうつもりだったんだ。どうして今まで、疑いもせず、なついて信じていたんだろう!そう、この人はお父さんでもお兄さんでもない。自分の最愛の人にそっくりな彼女が成長するのを待ち、自分のものにするために養ってきただけの男だったのです!
結婚とは、男女が結ばれるとはどういうことか。源氏をただただ無心に信じていたのに、不意打ちで裏切られたショックの大きさ。もうここは本当にかわいそう。びっくりしたどころじゃないよ~。
性別が女であること、男性から性的な対象として見られること。たまたま女に生まれてきただけなんだけど、ただ女だからってだけで、こういうことから逃れられない。それはなんて面倒で嫌なことだろう…と、ここを読み返す度に重い気分になります。
昼頃、源氏が様子を見に来ます。「具合が悪いの?今日は碁はしないの?つまらないなあ」。着物をめくると、全身汗びっしょりで、前髪もひどく濡れています。
「汗びっしょりじゃないか。大変だ」源氏はなだめたりすかしたりして、機嫌を取りますが効果なし。彼女は一言もものも言わず、ひたすら泣いて怒っています。
先ほどの源氏の手紙にも返事はなし。男女が結ばれたときの『後朝の文』ルールも一切無視。源氏にはそれも子供っぽくて可愛く、結局一日中機嫌を取って過ごしましたが、彼女の怒りは解けません。
惟光再び!結婚の準備に大活躍
2日目の晩、紫の君の枕元に、綺麗に盛られたお餅が。10月の最初の亥の日に食べる、縁起物の『亥の子餅』です。
源氏はお餅を持って惟光を呼び、「お餅を明日の暮れに持ってきてくれ。今日は吉日じゃないから」。源氏は結婚3日目に食べる『三日夜の餅』を暗に指示します。
惟光は源氏の微笑からすべてを察し「なるほど、おめでたい事は吉日に!量はどれくらいで?」「この3分の1くらい」。
惟光は(やっぱり!)と確信して立ち去ります。「ホントに気の利くやつだ」と思う源氏。惟光は誰にも言わず、ほとんど手作りで、三日夜の餅を自宅で用意。翌日、夜更けに持ってきました。
ここでも惟光は配慮を怠りません。(乳母の少納言に渡すとあからさまで、きまり悪く思われるだろうな)と思い、少納言の娘の弁を呼んで「これを必ずお2人の枕元に置いてくださいね。あだやおろそかにしてはダメですよ」。
若い弁は意味がわかららない。『あだやおろそか』の一言が引っかかって「わたし、あだ(=浮気)なこととかしたことないです」と言って受け取ります。惟光はそこも拾って
「今日はあだとか浮気とか、そういう言葉は禁句!オレも縁起のいい言葉だけを言うようにしよう」。主人の結婚に気を使う惟光、いいヤツですね~。
かくして、お餅は無事に枕元へ運ばれました。どう手配したのかと思うような、美しい立派なお皿に盛られたお祝いの餅。源氏は紫の君にお餅の意味を教え、正式な結婚を誓います。
新婚なのにギクシャク、「おめでとう」だけでない結婚
翌朝、お餅が寝室から下げられて初めて、女房たちも結婚に気が付きました。「知らなかったわ。惟光さんもどう思われたことかしら」。
少納言に至っては泣いています。「どうなることかと思ったけど、キチンと正式な作法に則ってご結婚してくださったんだわ」。
源氏は紫の君と結ばれて「今まで、ただ可愛いと思っていたのは何だったのだ。今は1晩でも離れたくないほど愛おしい」。今となっては他の女性達からの手紙もウザいほどで、浮気歩きもお休み。我ながらおかしな気分です。
「この人を妻として満足しよう。人生は短いのだから。もう恨みを買うような原因をつくるまい」。源氏はそう思い、紫の君の父(藤壺の宮の兄)の式部卿宮に連絡して、裳着(女子の成人式)の準備を急ぎます。今のままだと紫の君は身元不明の謎の女性なので、結婚を機にすべてを打ち明け、親の承認を得た形にしたいという考えでした。
乳母の喜びや、源氏の心遣いも紫の君にはどこ吹く風。つくづく「源氏を信用した自分がバカだった、騙された」という後悔ばかりが思われて、源氏とは目も合わせない。源氏がなにか冗談言っても気まずく、新婚さんなのにギクシャクしています。
源氏はそういう紫の君もまた可愛くてしょうがない。大事に大事にしてきてやっと手にいれた!男としての「よっしゃ!」感がものすごく伝わってきますね。筆者も男だったらそういう気持ちかも、と思います。
多感な紫の君のショックの大きさ、源氏の歓喜、周囲の人達の祝福。おめでたいのだけど、その中にはすれ違いや温度差があり、却ってリアルです。
源氏は源氏なりに紫の君をきちんと扱い、彼女も実質的な正妻として成長していくのですが、葵の上亡き後のポスト正妻について、実は決着がついたわけではありませんでした。乳母の少納言の危惧はのちのち、現実のものになります。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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