心が通じ合ったと思ったのも一瞬、源氏の正妻・葵の上は急死します。今回は葵の上の死後の源氏の意外さや、死の原因となった六条御息所(以下、六条)の魅力について紹介しましょう。
妻の死を悲しむ源氏を「意外」と見た人物
葵の上の死は、皆が「もう大丈夫」と思っていた矢先の出来事でした。源氏や左大臣が帰宅したとき、邸の中は女たちの混乱と泣き声に満ち満ちていました。
生き返るかもしれないという期待を込め、数日そのまま様子を見るも、死相があらわれるばかり。夜通しかかって盛大な葬儀が営まれます。
左大臣は立ち上がる気力もなく、「年老いて若い娘に先立たれるとは…」とよろめいて泣いています。母親の大宮は枕も上がらず、寝込んだきり。愛する娘に先立たれた親の悲しみはあまりにも大きなものでした。
源氏も人の死に立ち会うのは2回目。夕顔が死んだときも大ショックでしたが、今回は物の怪騒動の忌まわしさも手伝って、いよいよ生きているのが嫌になりそうでした。
「夫婦は一生もの、先は長いとばかり思って大切にしてあげられなかった。どうして浮気をして、彼女を苦しめてしまったのだろう。結局、妻は心を開くことなく逝ってしまった…」
優しくない、思いやりがない、堅苦しくてつまらないとあれだけ文句を言っていたのも、生きていればこそ。
仲の悪い夫婦が一方に先立たれたあと、残された方が意外にも相手を恋しがっている…というケースを筆者も実際に何組か見ましたが、夫婦の絆は不思議なものです。
源氏がこれほど葵の上の死を悼むのを、やはり意外な思いで見ている人物がいました。葵の上の兄、頭の中将です。源氏の部屋に毎日来て、話し相手をしています。義兄で親友の訪問はありがたい限り。あの恋のレジェンド、源典侍の面白話には源氏も笑うことがありました。
秋も深まり、霜枯れの庭には時雨が降りかかります。「煙となって天に帰った妻は、この雨や雲になったのだろうか。今ではそれもわからない…」。源氏の独り言に、頭の中将は(ああ、もし自分が女で、この人を残して先だったら、魂が残ってしまうだろうなあ…)。
頭の中将は、源氏と葵の上は桐壺院や両親の思惑で結婚した、形ばかりの夫婦だと思っていました。ここへ来て源氏が妹を愛していた、ということを初めて知ります。源氏自身も、もしかしたらはっきりと自覚していなかったのかもしれません。
愛人にも手を出さず……殊勝な源氏の四十九日
源氏は左大臣家の人以外では、朝顔とのみ手紙をやり取りし、心の慰めとします。朝顔は恋愛となると冷たいが、ここぞというときには繊細な共感を寄せてくれる感性の持ち主です。源氏はここを高く評価しています。
また、左大臣家で、ずっと愛人にしていた中納言の君という女房には、喪中は手を出さず、おしゃべりの相手として接します。
左大臣家の源氏のお手つきの愛人は、中将の君、中納言の君、など紛らわしいです。重要なのは、葵の上を差し置いて源氏の寵愛を受けていた、ということで、大宮から厳しく叱られて、とても肩身の狭い中でお屋敷勤めをしていたということ。いっそ辞めようかと思いつつ、源氏に会えないのも辛いので我慢している、という描写が末摘花の話に少し出ています。
ここで中納言の君は、源氏が自分に言い寄ってこないのを、葵の上に対する忠誠心と見て、かえって嬉しく思います。主従関係をを差し置いた愛人関係って難しいですね…。
葵の上の女房たちが主人を慕って泣くのを、源氏は「これからは息子の夕霧を頼むよ。皆が散り散りになってしまったら本当に寂しいからね」。源氏は左大臣家に息子・夕霧を託します。
何もかも現実感のわかないまま、源氏は喪服を着け、葵の上のために念仏を唱えて四十九日を過ごします。
「思いつめないで下さい」生霊の正体を本人に告白
そんな折、名乗らず手紙を置いていった使いがありました。白菊の花に濃い青鈍色(ブルーグレー)の紙が結んであります。お悔やみらしいカラーリングは気の利いた感じがします。
「無常なこの世を思うと涙がこぼれます。奥様に先立たれ、さぞかし涙で袖を濡らしていらっしゃることでしょう」。それは六条からの弔問文でした。
「かな文字では六条に勝る人はいない」ほどの能筆家、六条の筆跡は見事なものでした。さすがだなと思いつつ、あんなことがあったあとでは何を言われても嫌な気分。
何にせよ、葵の上の死は避けられなかったのだろう。だとしても、なぜああまではっきりと見てしまったのだろう。生霊を見なかったことにはできない苦しみを味わいます。
それでもスルーでは彼女のプライドを傷つけるので、長いことあれこれ考えて、やっと返事を書きました。
「皆いつか死ぬのです。そんな儚い世に、執着を残すのはつまらないことではありませんか。どうか思い詰めないで下さい。忌中の者からの手紙は斎宮のご潔斎に差し障りがあるかと、これ以上は申し上げません」。
生霊の正体を見たぞ、と源氏は暗に伝えます。鋭い六条はすぐに気づき、「見破られていたんだわ」と絶望。こうまでなって、どうして同じ空の下にいられるだろう。斎宮の潔斎に伴い、嵯峨野の野の宮へ移り、本格的な伊勢下向の支度をはじめます。
六条の野々宮での仮住まいは、センスや見識を生かした、奥ゆかしい暮らしぶり。それが評判になり、宮中でも「趣味のよい殿上人は、朝夕にはるばる嵯峨まで行くのが仕事になっている」とまで。
今で言う意識高い系の集まりみたいなものでしょうか。源氏との軋轢の中でも、遊びや趣あることを忘れないのが六条のいいところ。源氏も「それはそうだろう、あの人は優れたアーティストだから。本当に伊勢に行かれたらやっぱり寂しいな」。
四十九日も過ぎ、そろそろ紫の君にも会いたい。源氏は義理の両親らと涙ながらに別れ、久々に自宅の二条院に帰宅します。
おぞましくも美しい、六条御息所の魅力
車争いから生霊、そして離京へ。長い長い六条のターンもここでやっと一区切り。
高貴で美しく趣味高い、大人の女性でありつつ、嫉妬に狂う心が生霊にまでなる、という大変なキャラです。六条の複雑な心情は事細かに描写され、感情移入できる部分が多いです。源氏物語の女性の中で誰が好きか、という質問に、六条と答える人も多いのはそのためでしょう。
源氏は六条を意識して「あまりに賢く、感受性が強すぎてしまうと却ってよくないものだ。紫の君はそんな風に育てたくない」とも。
筆者も身近に頭の良い人を見て「ああ、この人はほんとうに頭がいいのだな」と感心する一方で「どんなに生きていくのが辛いだろう」と思ったことがあります。
頭がいい、センスがいい、何かの才能があるということはいいことのように思えますが、諸刃の剣でもあるのですね。
源氏物語の日本語訳で知られる学者、アーサー・ウェイリー版源氏物語では「憎悪が人を殺すというのが本書の根本的テーゼである」と注釈があります。そのパートを引き受けるのが、ほぼほぼ六条(の霊)です。
そのために六条の存在はあまりにも重苦しく、源氏もそれを疎みますが、それが物語に陰影をつける重要な役割を果たしています。もし六条がいなければ、源氏は本命の藤壺の宮を得られないために、女遊びを繰り返しているだけの男の話で終わったと思います。
六条は正妻・葵の上に対する愛人であり、最高の位置に藤壺の宮に対し、最深部で源氏を引き込むような存在。もう六条がいないと源氏物語にならないよ!というぐらいの圧倒的な存在感。
東京国立博物館に所蔵されている、上村松園の『焔』を見たことがあります。背中に視線を感じて振り返ると、生霊となった六条が青白い顔で見返っていました。実物はかなり大きいので、ナマで見ると圧倒的です。
(http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A11098)
おぞましくも美しい、不気味だが品のあるその女性。厭わしいがひきつけてやまない、怖いもの見たさの魅力のようなものが詰まった女性、六条。源氏が彼女と切っても切れない関係であるのも、なるほどこういうことなのか、と納得させられる絵でした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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