今回はちょこ猫さんのブログ『ちょこ猫は見た!』からご寄稿いただきました。
※この記事は2013年02月23日に書かれたものです。
■死刑執行はベルトコンベアー式のほうがいいと思う理由
死刑囚3人の刑が執行されました。死刑執行は昨年9月以来で、昨年末に政権交代した安倍晋三内閣では初めてとなります。
死刑が執行されると必ず、この政権では何人目だとか判子を押した法務大臣の人となりなどが話題になります。
そして国内外の死刑反対派が批判を繰り返したりします。
「日本に死刑停止要求=仏独」 2012年02月22日 『時事ドットコム』
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201302/2013022200657
しかし、死刑執行を、時の政権や法務大臣に関連させてばかりの話題には、僕は違和感を感じます。
死刑は裁判所が決めたものです。
執行するのに法務大臣が判子を押さなければいけないというのは、法務大臣の考え方次第で死刑囚を生かしたり殺したりできるということです。
実際、死刑の執行に熱心な大臣もいれば消極的でひとりも執行しない大臣もいます。
死刑判決を受けるまでには、厳しい煩雑な手続きを経て膨大な労力や時間やお金がかかっています。
遺族の無念な気持ち、加害者側の思惑、マスコミや一般視聴者の興味など、その判決が出る、ということはそれはそれは重いものです。
その極めて重い判断を、時の法務大臣の考え方ひとつで引き延ばしたり執行しなくてもよいものでしょうか。
政府は、きちんと法律に則って政策を執行するべきであって、恣意的に法律を解釈・運営すべきではないと思います。
死刑というのは、極めて複雑な手続きを経て執行されるもので、その判断は非常に尊重しなくてはいけないと思います。
極端な話、法務大臣の判子などというのは単なる流れ作業でいいと思います。
良くも悪くも法務大臣の執行に関与する度合いを下げるべきだと思います。
総理大臣が任命した職の重みよりも、裁判で出た結果を優先させるべきです。
鳩山邦夫元法務大臣がいつか、ベルトコンベアー式に死刑を執行したほうがいいという発言をされましたが、それは至言だとおもいます。
しかしこれは死刑が必要か必要でないかという議論とは全く別の次元の話です。
死刑廃止を訴える人たちは死刑を定めている法律を変えるように働きかけるべきです。
法律に基づいて執行している政府を批判してその時だけ死刑を伸ばすことができても、法律で死刑が認められているので根本的に変えることはできません。
手短にまとめると
・ 政府は法律で決められたことはきちんと守って死刑を執行するべき
・ 死刑廃止論者は、法務大臣のハンコを批判するのではなく、死刑制度そのものを変える議論をすべき
・ 死刑の執行は、法務大臣が恣意的に時期を決められないようにするべき(例えば判決から100日で自動的に執行するなど)
僕自身は、死刑制度の存続には懐疑的なところもありますが、これは難しい問題なので国民的な議論が必要だと考えます。
ただ、死刑執行のニュースを見る度に、何となく論点がずれているという感じを持っていたので文章にしてみた次第です。
執筆:この記事はちょこ猫さんのブログ『ちょこ猫は見た!』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年2月27日時点のものです。
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