今回はdergeistさんのブログ『長椅子と本棚』からご寄稿いただきました。
■「拡散希望」はいつ頃から使われているのか?
今やTwitterの悪しき伝統となりつつある「拡散希望」。このような「拡散」という言葉の用法は、最新版のWikipediaの項目で説明されるほどに浸透しています。
インターネット上における拡散物理的現象の拡散とは異なるが、インターネット上で情報が広がることを拡散と言う。特にTwitterなどでよく用いられる言葉であり、拡散行為が荒らしと見なされる、あるいはデマが拡散するなどの問題点も少なくない。
「拡散(2012年12月22日 (土) 15:13版)」 『wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=拡散&oldid=45483250
ところで、このWikipedia説明には少しおかしなところがあります。「インターネット上で情報が『広がる』ことを拡散という」としておきながら、挙げられている実例は、Twitterなどで情報を「広げる」ことになっているからです。
この、「広がる」なのか「広げる」なのかという混乱は、本来「拡散」とは自発的に広がる様子を指す言葉なのに、Twitterなどでは意図的に広げる様子を指す言葉として用いられている、というところから生じているように思います。「拡散希望」というときの「拡散」の用法は、本来の用法から大きく逸脱しているのです。
●自動詞の「拡散する」と他動詞の「拡散する」
ほかにこのことを指摘している人はいないかと調べてみたところ、昨年12月時点でこれを指摘した記事を発見しました。
拡散と浸透は,なんとなく似てる感じで,どちらもものが広がっていくみたいな意味だ.例えば,"ポップコーンが拡散した"とか"DNSが浸透した"みたいな感じで,自動詞として使われる.
ところが,インターネットでよく見る"拡散"は,自動詞ではなく他動詞として使われていることが多い.
「拡散はさておき,浸透について #拡散お願いします」 2012年12月22日 『ゆううきブログ』
http://yuuki.hatenablog.com/entry/2012/12/22/拡散はさておき,浸透について_%23拡散お願いします_
ここで指摘されている通り、本来「拡散」は自動詞的に使われ、自発的に広がる様子を指します。この用法に習うなら、「情報が拡散する」といわれるべきでしょう。しかし、Twitterなどでは、「この情報を拡散してください」という仕方で、他動詞として用いられることが多いように思います。このような変化は、なぜ生じたのでしょうか。
●本来の「拡散」の用法
本来の「拡散」の用法を確かめるところから始めましょう。先ほど引用した日本語版Wikipediaの最新版では、はじめに「拡散(かくさん、英語: diffusion)とは、粒子、熱、運動量などが自発的に散らばり広がる物理現象である」とあり、「自発的に散らばり広がる」と明記されています。また、本来は科学用語で、情報ではなく、粒子や熱、運動量といったものに関して言われるものです。(孫引きになってしまいますが、この記事の目的にとってはこれでよいかと思い引用しました。なお、このWikipediaの記述はIUPAC Gold Book - diffusion *1 を翻訳しての引用であると出典が示されています。)
*1:「diffusion」 『IUPAC Gold Book』
http://goldbook.iupac.org/D01716.html
現在Twitterなどでよく見られる用法も、元はここから派生したのだと思われます。それでは、この派生と自動詞から他動詞への転換は、いつ生じたのでしょうか。
●Wikipediaとアンサイクロペディアにおける「拡散」の他動詞的用法の出現時期
先ほどから引用しているWikipediaに、「インターネットにおける拡散」という用法が追加されるのは、2011年5月のことです。
「「拡散」の版間の差分」 『wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=拡散&diff=prev&oldid=37456296
また、アンサイクロペィアに「拡散希望」の項目が追加されたのは、2011年6月のことです。
「拡散希望」 『八百科事典(アンサイクロペディア)』
http://ja.uncyclopedia.info/index.php?title=拡散希望&oldid=918268
これらの項目の出現に合わせるように、Google検索でも、2011年春以後の記事の割合が非常に高くなっています。これはおそらく、東日本大震災と原発事故をきっかけに、Twitterにおける情報伝達への関心が高まったことを反映した動きではないかと考えられます。
●2010年以前の「拡散」の用例
それでは、「拡散」のこの用法が定着したのはこのころだったのかというと、これはもう少し遡ることができそうです。ここで、これと関連しそうな動きとして、Twitterでの”リツイート”行為の広がりについて見ておきましょう。Twitterに公式のRT機能が追加されたのは、2011年春からさらにぐっと遡って、2010年1月22日です。このことは、Twitterでコピペによって情報を広めるという行為が、これ以前から頻繁に行われていたことを示しています。
ところで、2010年上半期に「拡散希望」が多用された事例として、宮崎県での口蹄疫事件が挙げられます。このときは、民主党政権に批判的ないわゆるネット右翼勢力によって、「拡散希望」の表現が多用されました。
「【拡散希望】 宮崎の口蹄疫・現場の叫び」 2010年05月11日 『たまねぎ通信』
http://tokiy.jugem.jp/?eid=645
ところで、この口蹄疫の件は、「拡散希望」の語が保守的な勢力によって多用された例ですが、こうした例はほかにも多数あったように記憶しています。このことから、用法が爆発的に広まることになった初期の段階においては、ネットにおける右翼的な勢力による、民主党政権への反発が背景にあったのではないか、という仮説を立てて、もう少し遡って調べてみました。その結果、私が見つけた限りの最古の「拡散希望」の用例は以下のものです。
「『郵政民営化見直し』一気呵成。拡散希望」 2009年02月08日 『報道革命 FreeJapan.TVネット報道No.1』
http://freejapan.tv/?News%2F2009-02-08#o9a43645
さらに、「拡散希望」ではありませんが、「拡散」の他動詞的用法につながる例として、以下の記事に「緊急拡散」という用例があります。
「緊急拡散『ノービザ観光推進阻止』」 2009年01月04日 『報道革命 FreeJapan.TVネット報道No.1』
http://freejapan.tv/?News%2F2009-01-05#kd3d97e4
この記事から、2009年年始ごろには、「拡散」の語の他動詞的用法がそれなりに広まっていたということを伺うことができます。
●他動詞への転換はなぜ起こったか
これまでのところ、
1. 「拡散」の本来の用法は、自然科学における自動詞的な用法である。
2. 「拡散」の他動詞的用法は、少なくとも2009年頃にはある程度広まっていた。
これら二つのことを確認してきました。それでは、なぜこのような派生が生じたのでしょうか。
以下はあくまでも推測の域を出ませんが、1と2を繋いでいるとおもわれるのは、「情報の拡散」に関する自動詞的用法です。Wikipediaには、2005年時点で「情報の拡散」という項目が出現しています。
「情報の拡散(2005年8月14日 (日) 11:03版)」 『wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=情報の拡散&oldid=2725045
この項目の最初の版では、以下のような説明がなされています。
情報の拡散(じょうほう -の- かくさん)とは、情報が(しばしば無秩序に)拡散してしまう現象を指す。特に近年では情報技術の発達により、情報の複製が容易となった事から、コンピュータネットワークを通じて拡散現象が発生しやすい。
注意すべきは、ここでの「拡散」は自動詞であり、本来の用法からそれほど逸脱してはいない、ということです。つまり、ここで「拡散」の語は、「情報が無秩序に拡散してしまう」という、自発的に生じる現象を指すために用いられていて、現在のような「情報を意図的に広げる=拡散する」という用法にはなっていません。
しかし、この「情報が拡散する」という自動詞の用法は、「情報を拡散させる」と使役的に用いられることがあります。同じ「情報の拡散」の項の最古版にも、以下の記述があります。
1990年代以降、コンピュータネットワークの発達は、情報の拡散に新たな場を提供した。これは個人にあっては情報発信が容易いメディアとしても利用されるが、これが本来拡散されるべきではない情報であってすら、安易に拡散させてしまう。
ここでは「コンピュータネットワークが情報を拡散させる」という、「ネットワーク」を主語にした用法となっています。この用法から、「インターネットを用いて個人が情報を拡散させる」という用法への移行は、自然なものだと言えるでしょう。そしてこの用法の延長線上に、現在の他動詞的用法があるように思われます。
それにしても、なぜ「情報を拡散させる」が「情報を拡散する」に変わったかという疑問はまだ残るでしょう。これについては、「拡散させる」の「させる」を省いて、「拡散」という熟語を名詞的に用いたところに、その起源があると推測することは、それほど的外れではないのではないかと思います。例えば、先ほど2010年と2009年時点での用法を紹介しましたが、それらにおいては「拡散希望」「緊急拡散」とタイトルに入っているだけだったり、「拡散希望です」と書かれているだけだったりします。つまり、これらの用法では、「拡散(させることを)希望」であるのか、「拡散(することを)希望」であるのかが、はっきりしないのです。
これに対し、2010年7月の以下の記事では、はっきりと「拡散する」という他動詞的な用法が認められます。
「情報拡散するときの方法を考えてみませんか」 2010年07月19日 『じゃがめブログ』
http://d.hatena.ne.jp/Asmodeus-DB/20100719
というわけで、やはり2009年から2010年ごろに、他動詞的用法の出現時期を求められるのではないかと思います。
●まとめ
長くなってしまったので、要点をもう一度まとめておきます。
・ 「拡散する」は本来、自然科学の文脈で用いられる自動詞。
・ ここから、「情報が拡散する」という用法が派生した。
・ さらに、「情報を拡散させる」という言い方も派生した。
・ この現象が「情報拡散」という名詞の形で用いられるようになった。
・ ここから、本来補われるべき「させる」ではなく「する」を補い、「情報を拡散する」という用法が出現し、今に至る。
・ 転換期はおそらく2009年から2010年ごろ。
執筆: この記事はdergeistさんのブログ『長椅子と本棚』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月26日時点のものです。
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