ちいさいお姉さん (電撃コミックス EX 電撃4コマコレクション 140-1)

 寒くなって来ましたね。

 こういう寒い日々は家でストーブの前に陣取って萌え四コマを読むに限る、ということで、この頃、漫画『ちいさいお姉さん』を読んでいます。

 ゲームが大好きな「ちいさいお姉さん」と弟の他愛ない日常を描いた四コマ漫画。

 本来、ぼくが手を出すような作品ではなく、特に序盤の辺りはそこまで傑出して面白いというわけでもないので、薦められなかったら読んでいなかったかも。

 ところが、この作品、第3巻できょうだいの日常を離れ、群像劇的にほかのキャラクターも描くようになってから急速にぼく好みになってくるんですね。

 群像ゲームオタク四コマというか、とにかくゲームが好きな人たちがいっぱい出て来る漫画です。

 そのなかのひとりとして、自分はロリコンじゃないかと思い悩むエリートサラリーマンオタクの人が出て来るんですけれど、この人の造形が実にいい感じ。

 ある意味、作中でも極端にリアリティがない設定のキャラクターなんですけれど、妙に親近感が湧きます。

 この人は典型的な「持っているもの」と「ほんとうに欲しいもの」がずれている人なんですね。

 エリートで、仕事もできて、モテモテで、と三拍子そろった人生を送っているわけなのですが、ほんとうはそんなもの欲しくないんですよ。

 ただちいさくて可愛い女の子が好きでならないだけのエロゲオタだったりするわけなのです。

 この人を見ていると、ああ、人間ってやっぱりそうだよなあと思えて来るのです。

 「すでに持っているもの」がいつも「ほんとうに欲しいもの」と一致していればひとは幸せでいられるのだろうけれど、じっさいにはそういうことはめったにないですからね。

 だから、手に入れても、手に入れてもなかなか幸せになれない。それが現実。

 この人の場合、「ほんとうの自分」を認めてしまって、周囲からも認められれば幸せになれるのだろうけれど、イメージが邪魔をするわけです。

 あんなにイケメンで格好良くて颯爽としている人が二次オタなんてありえない的なイメージ。

 ひとは社会のなかでかくも自由ではありえないということ。むずかしいですね。

 ちょっと話を広げると、カーストとかヒエラルキーとかいう制度は、その下のほうにいる人間を苦しめるだけでなく、じっさいには上のほうにいる人間をもさいなむものだと思うのです。

 だって、べつにカーストの上位にいるからって、それに適応した人格だとは限らないのですから。

 カーストの上位にいることに誇りを抱き、それに満足できるような性格の人ならいいだろうけれど、必ずしもそうとは限らないわけですからね。

 これは