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コメント
読者のぼくちんといいます。
岡本敏子が「じぶんらしさなど本当にあるのかどうかわからない」
そう仰ってました。
私は行動と暗示がその人を規定していくじゃないかと思います。
僕もそのときのポイントポイントで自分を疑うことがあり、そういうときにひねった行動をしたりします。
あまのじゃくなんですね。
誰かが私の事注視しているかわからないけど、「自分を決めつけられたくない」というのがあって。
それで裏切る行動をしますね。
そこまで含めて自分といえばそうかもしれないですが。
にわとりかたまごどっちが先なのかの問題だと思ってます。
嫉妬がないっていうのは、見捨てられ不安がないってことなんですかね?
たとえば親密な相手がいて、その人が自分のもとを離れていくという場面での気持ちの揺れ動きが嫉妬だと理解しているのですが、嫉妬がないってことは「まあこの人が自分の元から離れていくのも相手が決めたことだからしょうがないな」という風に冷静に割りきれてしまうってことなんでしょうか。
自分の場合、結構見捨てられ不安が強かったりするので、そこで動揺しないっていうのは「羨ましい」ですね。
もし自分がそこで動揺しなければもう少し冷静に対処できるのかもしれない、という可能性を少し想像してしまいます。羨ましさを感じないということは、「そんな仮定で色々考えても、結局人は人、自分は自分なのだからしょうがない」と割り切っているという感じなのでしょうか。
キャラクター設定というか、自分が「こう」である由縁みたいなことでしょうか?
個性的なキャラクター、それが行動的でモチベーションに満ちている人物だとして、そこには動機が存在していて、それをいっそ「動力」と表現したとして、その源泉は何処にあるのかと考えます。
地震が発生する仕組みと同様に、わたしは「人格のゆがみ」が動力の源泉だと思いました。
ゆがみをすべて発散して、フラットになった時の状態を、達観していると表現して、その状態でみる世界は、幼少時代にみられるキラキラした世界と同じような感じです。
これからこのキラキラが消える頃にね歪みが貯まって、また人生が駆動しだすのかなぁとかんがえると、毎日が楽しいです。