「勇気」の科学 〜一歩踏み出すための集中講義〜

 さて、自意識を巡る一連の記事の最終回です。

 前回の記事では「結局、ささやかな勇気を振り絞って現実と向き合うしかないよね」というところまで書きました。

 一部に異様に面の皮の厚い人はいますが、一般にひとはみな繊細な自意識を抱えていて、なかなかチャレンジングに生きることができません。

 それでは、どうすればその殻を破って、自分の世界を拡張することができるのか?

 なけなしの勇気を振り絞るための秘策とは?

 そんな方法がわかっていたら苦労しないよといいたいところですが、ぼくが自分の経験から導き出した答えとは「徹底的に現実と向き合う」ことです。

 ひとはだれもみな何かしら偏見を抱えていて、事実とはずれた世界を現実として認識しているものです。

 たとえば、ある人物に対して「どうにもいやな奴だ」、「あいつは四六時中ひとの悪口ばかり考えているのだろう」などと思い込んだりする。

 しかし、現実にはどんな人間でも「悪」の結晶ではなく、雑多な思考を行いながら生きているのです。

 ある人間を「いやな奴」という認識でカテゴライズすることは現実を「単純化」することです。

 もちろん、人間は限られた脳の能力で超複雑な現実を把握しようとしているわけですから、「単純化」はだれもが避けられないことです。

 せいぜいが偏見に振り回されないように努力することができるくらいで、一切偏見なく生きることはできないでしょう。

 しかし、この偏見がひとを苦しめるのです。偏見は恐怖を肥大化させるから。

 たとえば、ある人に「おはよう」と話しかける、それだけのことでも、偏見を抱えていると途方もなく恐ろしいことになってしまいます。

 もし相手が自分に悪意を抱いていたらどうしよう、そうでなくても話しかけることで変な奴だと思われるかもしれない、あるいは突然殴りかかってくるかも、といった想像が連鎖的に暴走することで、ひとは一切行動することができなくなります。

 その時、かれは「ほんとうの現実」ではなく、バケモノのように肥大化した現実を認識し、それと向き合うことで勇気をくじかれてしまっているのです。

 いわば、「現実のモンスター化」。

 ある意味では、自ら現実世界を強大な敵にしてしまっている。簡単なことを困難にしてしまってもいる。

 こうやって認識を肥大化させつづけ、世界をモンスター化しつづけると、ひとはついには一歩部屋から外へ出ることもできなくなってしまいます。

 とはいえ、