「デフレ化するエンターテインメント」の記事に付いたコメントが興味深かったので、ここに転載して返事を書くことにします。
コンテンツ消費が楽しいのは、どういうことなのか、最近よく考えます。例えば、終身刑のような形で、人とは全く会うことができないのだが、コンテンツの消費やメディアへの接触は自由である環境で、コンテンツ消費は楽しいと感じられるか?・・・私は楽しいと感じられるような気がする・・・そうであれば、ミニマムのコストで、限りなく消費できるコンテンツがある現代は、やはり楽園ということでしょう。
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コメント
転載されたコメントの「メディアへの接触は自由である」というのは、ネットへの書きこみや投稿ができる状態でしょうか。
もしそうでないのならば、そのうち楽しくなくなると思います。これは他の記事でもコメントしたことですが、「自己承認欲求」が満たせないからです。
いくら面白いコンテンツを自由に消費できても、これだけだと「自分は世の中の何かに役だっている」という実感を得られません。
「自分は何のために生きているのか」「この世に自分は必要なのか」「このまま何も成し遂げずに死ぬのか」という疑問がわいてきて、楽しむどころじゃなくなってくるのではないかと。
自己承認欲求が無い人も、中にはいるかもしれません。でも、そういう人は少数だと思います。
たいていの人は、社会と関わって他人や自分自身によって「自分を何らかのかたちで認められる」ことがないと、欲求不満になってしまうのではないでしょうか。
(ID:17984371)
コメントに対して、早速、記事にまで広げてご返答頂き、有難うございました。
お答え頂いた内容は、ぼんやり予想していたことと合致していて、
自分の中にも確かにある志向性だな、とも思いました。
この話題には、興味深い内容がいくつも含まれていて、たとえば
・コンテンツが面白い、とはどういうことなのか
・最新のコンテンツがもつ意味(価値)、とは何か
・コンテンツ消費は、我々の人生に何をもたらすのか
など、いろいろな方向に発展する気がします。
また、これはコンテンツの作り手の立場から見ても、意味深い話題であると感じました。