いつもと何が違うのかというと、いつもより一生懸命に書く、これだけです。
3月29日の0時から4月4日の24時までの168時間のあいだに質量ともにどれだけの記事が書けるか、試してみようと思っています。
いっぺん自分の限界をはっきり知っておきたいと思うのですね。
そういうわけで、この間はむやみと記事が増えるかもしれませんが、気にせずスルーしてください。べつに全部読む必要はありませんから。
さて、ぼくはもう14、5年くらいブログを書きつづけているのですが、そのあいだ継続的に成長してきたという実感があります。
まあ、「前よりマシ」程度のことに過ぎず、一般的に評価を得られるほどの実力があるかどうかは怪しいものなのですが、それでも少しずつ少しずつ「マシ」になっていっていると自分では思っている。
もちろん、「昔のほうが良かった」という方もいるでしょう。
ひとの評価はそれぞれですから、そういう視点を否定することはできません。
しかし、ぼくとしては少しずつ少しずつ「前よりマシ」になりつづけている。そう思っているのですね。
まあ、たしかに失われたものはあるだろうけれど、得たものはそれ以上に大きい。
ほんとうにブログを続けて来て良かったと思っています。これがなかったらぼく、ただのひきこもりだったものなー。
いや、いまでもただのひきこもりなんだけれど、ひきこもり生活を楽にするためのお金を稼ぎ出せることは大きい。
お金さえあればひきこもりなんて気楽なものですよ。レッツエンジョイニート!
それはともかく、ブログであれ何であれ、「続ける」ということは大きい力を持つものです。
継続は力なり。だれもがその意味を知っているでしょうが、それでいてじっさいに続けることはむずかしい。
何かを10年、20年と続けていくためにはそれが「習慣」になっている必要があるからです。
ジョン・トッドは「われわれにとって怠惰ほど有害で致命的な習慣はない。にもかかわらず、これほど身につきやすく、断ちがたい習慣もない。」といいました。
あたりまえといえばあたりまえのことで、怠惰とはつまり「習慣の欠如」に他ならないからです。
そしてまた、それでいて、ただオートマティックにある習慣を続ければいいというものでもない。
常に現状をアップデートしつつ続けるということが大切だと思うのです。
自分はまじめに生きている、学校も会社も休んだことはない、怠惰とは無縁だ、そういうふうに語るひともいらっしゃるでしょう。しかし、そうでしょうか?
そういう方は実は「目の前の物事に対し思考停止してただ同じことを続けるだけ」というべつの形の怠惰に陥っているかもしれません。
ただ同じことを漫然とくり返すということは、周囲から見ればいかにもまじめであるかのように見えるかもしれませんが、成長の契機を欠いています。
それでは、どこへ行くこともできない。つまり、ぼくたちに必要なものは
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コメント
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(ID:3337618)
かんばれー。