1947年9月19日。
この日付は記憶されるべきだろう。この日、世界は不世出の語り部を得たのだから。もちろん、そのときにはだれひとりそうとは気づかなかったことだろうけれど。その日生まれた赤子はタニスと名づけられた。タニス・リー、と。バビロニアの月の女神にちなんだ命名である。いかにもそのひとにふさわしい名前ではないか。
やがて赤子は育ち、九つのとき、作家を志す。初めて長編を上梓したのは二十を三つ過ぎた頃。そして、その生涯の傑作といわれる『闇の公子』を生み落としたのは、さらにその数年後のことだった。
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