てれびんに指摘されたのだけれど、最近、ずっと自意識の話をしていてワンパターンですね。いいかげん他の話題に行きたいところですが、敷居さん(@sikii_j)がTwitterで「納得いかん!」とシャウトしていたので、もう少しだけ岡田さんの話を続けたいと思います。
いや、じっさい書くことは色々あるんですけれど。ただまあ、ぼくは直接逢って人柄をたしかめたわけではないので、あくまで以下に書くことはぼくの妄想という域を出るものではありません。「こういう人なんじゃないかなあ」という推測でしかないわけです。そのことを前提としてお読みいただければ、と思います。
まず、岡田さんの人生の目的が何なのかという話なのですが、ぼくはべつだん、かれが「何かを笑い飛ばすこと」を目的にしていたとは思いません。
この場合、「笑い」は目的というよりはむしろ手段でしょう。それでは目的は何かというと、「その人物より上に立つこと」だったんじゃないかな、と。
つまり、何かを笑い飛ばすことによって、間接的にその存在より上に行く。そして「偉い」「賢い」「強い」「大人の」自己イメージを周囲から認めてもらう。それが目的だったのではないか。
究極的には「だれよりも賢くて偉い自分」というセルフイメージを確立したかったのではないかと思うのだけれど、まあ、はっきりとはわかりません。
ただ、岡田さんがひとの悪口をいうのが大好きだったことはいくらでも証拠があります。たとえば『史上最強のオタク座談会 封印』には、こんな発言があります。
岡田 こないだ『アニメガベストテン』とかあるじゃないですか。あれに俺ゲストで出たんですよ。そしたらね、その時××××××もゲストやったんですよ。で、「はじめまして」と言うてCDくれるんですけどね、「岡田斗司夫さん」いうてサインしやがるんですよ。それがなかったら売れたのに(笑)。書くなよ、オマエ! ババアが! めちゃくちゃ腹立って(笑)。
ちょっとこの人は何をいっているんだろう、という感じですが、もらったCDに為書きをされると売って金にできない、だからそういうことをする奴は性格が悪いといっているわけなんですね。
本人のつもりではハイセンスなジョークなのだろうな、と思うんですけど、本気でいっているのだとしたらひどい話です。「書くなよ、オマエ! ババアが!」じゃないよね。
こういう発言は山ほどありますね。というか、この本一冊全部、この種の発言なんですけれど。
で、まあ、こういう発言の裏にある想いは「人の上に立ちたい」というものだったとぼくは考えるわけです。権力志向というか。FREEexみたいな組織を作ったり、「オタクの王さま=オタキング」を名乗ったあたりからはそこらへんの心理が読み取れると思います。
オタク全体がある種の知的エリートとして社会に認められ、自分はその上にトップとして君臨する。どこまで本気だったかはともかく、岡田さんの野望とはそういう性質のものだったと考えていいのではないでしょうか。
ぼくとしては岡田さんはやっぱり自分の知性を認めてほしかったのではないかと考えています。漫画『アオイホノオ』のなかにもそんな描写があるようですけれど。
最近の岡田さんにはそういうイメージはないかもしれませんが、唐沢俊一さんとの対談集『オタク論!』とか、先ほどの『史上最強のオタク座談会』のシリーズなどを読むと、「口の悪い岡田斗司夫」をたくさん見つけることができます。
ぼくはそういう言動はやはりそれによってその対象より上に自分を置きたいという欲求の表れと考えるわけです。もちろん、これはべつだん岡田さんだけのことではないですけれどね。
たとえば庵野秀明や宮﨑駿は岡田さんにとって同世代ないし上の世代の天才的なクリエイターですが、岡田さんはかれらの作品の拙劣さを笑い飛ばすことによって擬似的にかれらより上に立つことができるわけです。
「まったく、宮さんにも困ったものだよね(笑)」みたいなセリフをさらっといえれば、そういう岡田さんを凄いと思う人はかなりいることでしょう。
じっさい、岡田さんはクリエイターより「客」のほうが上なのだ、とはっきり主張しています。『オタク学入門』からその一節を抜き出してみましょう。
このように、オタク文化の頂点に立つのは教養ある鑑賞者であり、厳しい批評家であり、パトロンである存在だ。それは作品に美を発見する「粋の眼」と、職人の技巧を評価できる「匠の眼」と、作品の社会的位置を把握する「通の眼」を持っている、究極の「粋人」でなくてはならない。つまり、僕がこの本の中で一貫していってきた一人前のオタク、立派なオタクということになる。立派なオタクはオタク知識をきちんと押さえていて、きちんと作品を鑑賞する。当然これは、と目をかけているクリエイターの作品に関しては、お金を惜しまない。逆に手を抜いた作品・職人に対しての評価は厳しい。これらの行動は決して自分の為だけではない。クリエイターを育てるため、ひいてはオタク文化全体に対して貢献するためでもある。そこのところをオタクたちは心得ている。もちろん、クリエイターたちやマスコミの中にはオタク文化を西洋のサブカルチャーの一部と勘違いしていて「クリエイターは文句なく偉い」と考えている連中が多い。「作品はクリエイター様の心の叫びだ。ありがたく拝見しろ。わからないのはお前が悪い。顔を洗って出直してこい!」ここまであからさまではないにしろ、多くのクリエイターはこういう風に勘違いしている。その勢いに呑まれている中途半端なオタクも多いが、実は違うのだ。やたら料理人を持ち上げたらその店はダメになってしまう。ちゃんと自分の舌で評価してこそ、よりおいしい料理が望めるというものだ。つまり職人の芸をきちんと評価する、という形が健全な文化の育成につながることになるということだ。
オタク文化の頂点に立つ「教養ある鑑賞者であり、厳しい批評家であり、パトロンである存在」としてのオタクたち、そのさらに頂点に自分が立つ。岡田さんとしてはそういう夢を抱いていたのかなあ、とこの文章を読むと思わせられます。
で、なぜそんな大望を抱かなければならなかったのかといえば、それはやはり岡田さんの心に何かしらのルサンチマンがあったからなのではないでしょうか。
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