>>3 >モテナイやつほど恋愛自由主義でフリーセックス主義 一面の真理は突いているとは思います。 たとえば、カースト制に対して不平等だと感じる人の割合は、身分が高い人間よりもそうではない人間の方が多いように、ある種の革命というのは持っていない側の人間から起こるものでしょう。ポリアモリーが「恋愛革命」になるかどうかはともかくとして、持たざるものだからこそ自由を希求するという傾向は確かにあるでしょうから、それは"意外"でもなんでもないと思います。 とはいえもし仮にその表現のなかに「そういうのはすべてモテない人間の僻み(ルサンチマン)でしょ?」ということが含意されるのであれば、また話は変わってきますが。 感情の問題に関しては、ブロマガの記事でも海燕さんが自己分析されているような普遍的な感情もあると思うのですが、一方で現代においては「付き合うということは一対一の関係であるべき」という規範意識が大多数の人々に共有されているが故に、そうではない行い(=不倫)に対して「裏切られた」という感情が生まれるにすぎないという側面もあるように思います。実際に個々人が不倫をどこまで許容するかはともかく、「一対一の関係であるべき」という規範は本当に普遍的なものか?という問いはもっと当たり前に共有されてもよいことのように思います。 とはいえ、実際我々は「付き合うということは一対一の関係であるべき」という規範のある社会に生きているので、それは尊重されるべきものだと思いますし、 >全員が同意するならアリ という結論に異論はありません。 そもそもポリアモリーの実践においても「事前に」相手の同意があることの重要性は常に強調されていますし、事後的に不倫の言い訳としてポリアモリーの考え方を使うような人間が不道徳である、という点ではポリアモリーの実践者を含め意見は一致しているものと思います(ちなみに私自身はどちらかというとモノガミーですが)。 海燕さんの記事でも >互いの了解のもとに「不倫」を行うなら何も問題はない。 と述べているように、互いの了解の必要性については、議論するまでもないことではないでしょうか。 むしろ海燕さんがこのブロマガ記事で提起しているのは、なぜそういう「全員が同意する」ような関係が、社会全体に広がっていないのか?ということだと思います。
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>>3
>モテナイやつほど恋愛自由主義でフリーセックス主義
一面の真理は突いているとは思います。
たとえば、カースト制に対して不平等だと感じる人の割合は、身分が高い人間よりもそうではない人間の方が多いように、ある種の革命というのは持っていない側の人間から起こるものでしょう。ポリアモリーが「恋愛革命」になるかどうかはともかくとして、持たざるものだからこそ自由を希求するという傾向は確かにあるでしょうから、それは"意外"でもなんでもないと思います。
とはいえもし仮にその表現のなかに「そういうのはすべてモテない人間の僻み(ルサンチマン)でしょ?」ということが含意されるのであれば、また話は変わってきますが。
感情の問題に関しては、ブロマガの記事でも海燕さんが自己分析されているような普遍的な感情もあると思うのですが、一方で現代においては「付き合うということは一対一の関係であるべき」という規範意識が大多数の人々に共有されているが故に、そうではない行い(=不倫)に対して「裏切られた」という感情が生まれるにすぎないという側面もあるように思います。実際に個々人が不倫をどこまで許容するかはともかく、「一対一の関係であるべき」という規範は本当に普遍的なものか?という問いはもっと当たり前に共有されてもよいことのように思います。
とはいえ、実際我々は「付き合うということは一対一の関係であるべき」という規範のある社会に生きているので、それは尊重されるべきものだと思いますし、
>全員が同意するならアリ
という結論に異論はありません。
そもそもポリアモリーの実践においても「事前に」相手の同意があることの重要性は常に強調されていますし、事後的に不倫の言い訳としてポリアモリーの考え方を使うような人間が不道徳である、という点ではポリアモリーの実践者を含め意見は一致しているものと思います(ちなみに私自身はどちらかというとモノガミーですが)。
海燕さんの記事でも
>互いの了解のもとに「不倫」を行うなら何も問題はない。
と述べているように、互いの了解の必要性については、議論するまでもないことではないでしょうか。
むしろ海燕さんがこのブロマガ記事で提起しているのは、なぜそういう「全員が同意する」ような関係が、社会全体に広がっていないのか?ということだと思います。