『3月のライオン』に見る「魂の格差」を生み出すもの。
各地で第10巻と間違えて買ってしまうという被害が続出しているようですが、お前ら、帯に「初のオフィシャルファンブック 「3月のライオン」をたのしく、くわしく、おさらい」って書いてあるんだから、気付けよ! 気付こうよ!
初級編ということは、このあと、中級編、上級編と出るのかな、という気もしますが、まあ、とにかく購入、ざっと読んでみました。
初級編というわりにはなかなかディープな本ですね。作者インタビューはもちろん、三浦建太郎、森恒二、吠士隆の『アニマル』男性漫画家トリオによる鼎談なども収録されていて、実に盛りだくさん。
この鼎談がまた面白いんだ。自身、最前線で疾走する漫画家たちによる羽海野チカがいかに怪物であるかという話は、実に興味深いものがあります。同じ漫画家の人から見てもやっぱりとんでもない存在なんだなあ、と。
で、この座談会のなかで「ヒョードル」とか「フリーザ様」とか好き勝手にいわれている羽海野先生なのですが、まあ、ある種の天才だよな、どう見ても。
もちろん、尋常ではない努力をしていることは発言の端々から伺われるんだけれど、それはもともと凄まじい才能を磨いているからこそ輝いている、という印象があります。
特別な才能もなければ、生まれてからこの方、およそ努力といえることをしたことがないぼくとしては戦慄するばかりです。
そういう文脈で考えると面白いのが「ニコ・ニコルソンのマンガ道場破り 羽海野チカ道場編」。そこでとんでもない名ゼリフが出てきていまして、つまり、「才能は物量で越えられる!!」と。
一本の漫画を描き上げるための羽海野さんの作業量はそれはもう途方もないものがあるらしく、それはやはり「才能」のひと言では片付けられないものなのですね。
しかも中学の頃から延々とネタ帳を溜めているのだとか。『ハチクロ』に出て来るようなポエムもそのなかに入っているらしいんですね。ああ、努力家の羽海野先生……!
まあ、そこまでできるのもやはり「漫画が好きだから」ではあるのでしょう。でも、その「好き」が並大抵ではないんでしょうね。
「努力を続けられることこそ才能」とはよくいいますが、大半の人は先が見えない努力を延々と続けることはできません。どこかで心折れて逃避してしまうことが普通。
しかし、どの業界であれ、トップクラスの人間は延々と努力をしつづける。ひとが「あんな高みに立ってしまったんだから、もういいだろう」と思うような境地に立っても、「さらに、さらに上へ」とがんばりつづける。
その「継続」の力は最後にはものすごい差を生み出してしまいます。そして、そう、『3月のライオン』では、「努力しようとしない人々」もまた端々で描かれています。
羽海野チカは決して声高にかれらを責めるわけではありませんが、しかし、その人生がそれなりのものに落ち着いていくことを冷静に見つめています。
その残酷さもまた、現実。そう、「どんなに弱い人、愚かな人でも救われるべき」と口先でいう人はいますが、じっさいには、自分の人生を自分でダメにしようとする人を救い出す手立てはないのだと思う。
ただの逃避、単なる怠惰なら、「だれの心のなかにもあるあたりまえの心理」ということもできるでしょう。ですが、それが度重なり、「心のくせ」となり、またそのことを正当化しはじめると、転落は早いものです。
「いや、そういう人だって同じ人間、救われなければならないのだ」とあくまでいう人もいますが、しょせん口先だけのことです。自分自身の意志で坂道を転がって行く時、だれも助けてくれないのが普通です。
それが人生。正しいかどうかではなく、じっさいに世界はそういうふうになっているということなのです。
以前、ぼくは『3月のライオン』を取り上げて、ここでは「魂の格差」が描かれている、といったことがあります。この社会では、どんなふうに生きることもその人の主体性に任されていて、だからこそ、意志の弱い人間は自ら転落していくものなのです。
それを他者が救い出す手立ては、あるとしても、ものすごい犠牲を覚悟しなければならないものです。つまり、「救われない奴は救われない」のです。
べつだん、自己責任だとかいいだすまでもなく、
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