さだまさしといえば、有名な歌手だ。何年か前、その肩書きに「作家」が加わった。一作の小説を書き上げ、いわゆる「文壇デビュー」を果たしたからだ。以来、定期的に長編小説を発表しては話題を集めている。
芸能人の作家活動というと、どうしても余技の印象が強いが、さだの小説は、端正、流麗、十分にプロフェッショナルの作品と呼ぶに値する。
なぜ、ほんらい音楽家である人が、こうも卓抜な構成と、美麗な文章で物語を紡げるのか、不思議でたまらないが、かれが無二の天才作詞家でもあることを考えれば、ほんとうはちっとも不思議なことではないのかもしれない。
『精霊流し』を、『無縁坂』を、『風に立つライオン』を生み出してきたさだの日本語に対する鋭い感性は、当然、小説にも活かされ、ひとつの繊細な言語宇宙を作り出している。
そのさだまさしの長編『アントキノイノチ』を読んだ。某プロレスラーの名前をもじったと思しい、ふざけているようなタイトル。正直、それほど期待してはいなかった。
しかし、いったん読み始めると、あっというまに物語世界がそこに立ち上がり、生と、そして死が紡ぎだすドラマティックな物語に酔いしれた。
さだの小説は、上品な辛口の日本酒に似ている。すいすいといくらでも呑めるので呑み耽っていると、気づいた時には酔いが回り、世界がぐらんぐらんと揺れて見える。それでいて決して悪酔いはさせられず、気分が悪くなるようなことはない。
かれの紡ぐ言葉たちにはどこかしら揺るがない「品」があって、それが物語世界に一本筋を通しているのだ。
『アントキノイノチ』は、ふざけたようなタイトルとは裏腹に、きわめてシリアスで深刻な物語である。主人公は、病み傷ついた心を抱えたあるひとりの少年。
そのかれが、自殺や孤独死で亡くなった人の部屋の始末を請け負う会社のいち員として働くうち、しだいに生の重みを知り、成長してゆくプロセスがリリカルな筆致で綴られている。
ごく淡々とした小説であり、あるいはもうひとつ物足りないと思われる方もいらっしゃるかもしれない。だが、エロスとタナトスの深遠な秘密に分け入ろうとするさだの書き方は、きわめて抑制されてはいるものの、奥の方に何か熱いものを秘めていて、読ませる。
数しれない美しい歌詞を生み出してきたさだは、しかしただ流麗で読み心地がいいだけの物語をよしとはしていないようだ。いくつかの生と、そして死が交錯する展開は、読むほどに力強く迫ってくる。
これは、いかにもさだらしく笑いのオブラートにくるみ込んだ生の賛歌だ。生きていることと、生きてゆくことの、その素晴らしさを切々と語ってくるような物語。まず傑作といっていい出来だと思う。
それにもかかわらず、ぼくがもうひとつこの長編に陶酔し切ることができないのは、ぼく自身の問題であるのだろう。ぼくには、命というものにそこまでの価値があるのか、いまひとつ確信し切れていないところがある。
あるいは世にいう中二病の、幼い偏屈に過ぎないかもしれないが、死ぬことは死ぬことで、殺すことことは殺すことで、それなりに意味があるように思えてしまう。
どうしても殺してやりたいような命は、ある。ぼくはその思いを消すことができない。
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