クリエイティヴな才能、というものについて考えている。きっかけはきょう見たNHKの『プロフェッショナル』。今回はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のマーケターの話だったのだが、そのかれがいうのだ、自分にはクリエイティヴな才能はないと。
何百億という金を動かして、とびきりスリリングなエンターテインメントを演出する異才にクリエイティヴィティがない? ウソみたいな話だけれど、たぶん、本人の主観としてはその通りなのだろう。
じっさい、クリエイティヴィティという奴は生まれつきの才能が重要。面白くない奴が書くシナリオは、どういじったって面白くならない。もちろん、特別な才能のもち主が根っこから書き換えない限り、という話だけれど。
とにかく、創造という名の破壊を成し遂げる天才は、この世の中でもとてつもなく貴重なものなのだ。ダイヤモンドなんてものじゃない。もっともっと少なく、偉大なシロモノ。
さて、不幸なことにぼくは(ぼくも)その才能を持って生まれなかった。天にまします神さま、痛恨のミステイク。だって、ぼくは並外れた天才でも持っていなければ生きていけないような欠陥人間なのだ。そんな人間がひとかけらの才能も与えられずに、どう生きていったらいい?
じっさい、それでいまでも迷っているくらいなのだが、とにかくぼくにはクリエイティヴの才能はない。この手をどう使ってもしょせんは何も生み出せないということ。
それでもぼくはこれからも小説を書きつづけるつもりだが、たぶんぼくには生涯、ゼロから世界を生み出すブラックマジックは体得できないかもしれない。ああ無情。
まあ、それは仕方ないので、そういうものだと受け止めてあきらめるしかないのだけれど、それでもやっぱり書くことは好きだ。たとえ、この手で高空をひき裂いて怪物を呼び出したり、深い湖の底に眠る城のことを物語ることはできないにしても、書くことはぼくにとって生きることに等しい。
さらりと軽く、ひと息に読めるような文章を書きたい。あるいはエロティックな官能に充ち、読むほどにかぐわしく感じるような言葉を綴りたい。そう思って、いままで色々と書いてきた。
繰り返す。ぼくには、無から有を生み出す才能はない。一応、創作の理論は知っているが、その理論の領土から新たな一歩を踏み出すことがどうしてもできないのだ。
そういう人間はどうやって勝負したらいいか? 考えに考えたのだが、おそらく「編集」に頼るしかないのだろう。それがぼくがいちばん得意な作業なのだろうという気がする。ほかのことに比べれば、という程度ではあるにせよ。
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コメント
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(ID:1584582)
初見にとっては十分クリエイティブに見えるというやつ