突然死というリアリティと、それでもなお生きるという選択。
先日のラジオは「新世界」や「戦場感覚」の話題を受けて、予想外に盛り上がったのですが、そのなかでLDさんにより「突然死」という概念が提唱されていました。
具体的な定義があるわけではないのですが、あえて定義づけるなら以下のようになるでしょうか。
・ある物語の主人公ないし重要人物が、物語的な意味なく突然死亡すること。
この「物語的な意味なく」というところが重要で、物語のなかである必然性に沿ってキャラクターが死んでいく展開は突然死にはあたりません。たとえば『タッチ』の上杉和也が亡くなる展開がこの突然死にあたるのか微妙なところです。
LDさんは例としてテレビドラマ『太陽にほえろ』や『振り返れば奴がいる』を挙げていますが、『太陽にほえろ』のような制作側のご都合主義によってキャラクターが殺されてしまっただけと思われる展開も、その物語を見ている側からすると突然死に見えるわけです。
あなたも、最終回で主人公が突然死んでしまって終わり、という展開を辿った作品を、ひとつふたつ思い浮かべられるのではないでしょうか?
ぼくは、この突然死の系譜というと、なつかしのタイトルであるところの安彦良和『ヴィナス戦記』などが思い浮かびます。これ、憶えているひとは少ないと思うんですけれど、まさに主人公が突然意味もなく殺されてしまって終わり、のパターンだったはずなんですよ。
暗殺されるのだったかな? ちょっと記憶が曖昧ですが、駅(?)でかれを待っている女の子が「あれ? 来ないな?」みたいに思うところでバッサリ断ち切られていた記憶がある。いやー、すごい展開ですね。
あと、最近ではテレビアニメ版『Phantom of Infelno』なんかも、最終回で突然死亡のパターンでした。他にもいくつか思い浮かびますが、記憶がたしかではないのでこのくらいにしておきましょう。
なぜ、この突然死が重要なのかと云えば、ぼくがいうところの「戦場感覚のリアリティ」を突き詰めていくと、この突然死に行き着く一面があるからです。
つまり、戦場感覚を突き詰めていった先にある究極のリアリティとは、「物語上、どんなに重要な人物でも(主人公でも)突然死ぬことがありえる」という世界観になると思うのです。
それはある意味では、物語という意味の文脈を突然に断ち切る行為であり、「物語破壊」です。あなたがいままで長々と見て来た物語は幻想ですよ、一瞬で崩壊してしまうほどのものでしかないんですよ、という宣言に近いものがある。
だから、ぼくは決してこの「突然死のリアリティ」こそが最高のリアリティであり物語の本質なのだ、などとは主張しません。それはある意味で現実世界の性質をそのままに切り取ることに成功しているかもしれませんが、「だから何なのだ?」という切り返しを避けることはできません。
はっきり云ってしまえば、面白くもなんともないんですよ。物語の目的は決して「この世の無残な真実」をただそのままに描き出すところにあるわけではない、ということをご理解いただきたいと思います。
この世界はこんなにひどいんだ、残酷なんだ、狂っているんだ、ということを
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