「批評家」の万能感とその限界。
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その間、何をしていたかというと、ずっと小説を書いていました。100枚ほどの中編が1本仕上がったんだけれど、あまりおもしろくないので未公開のまま捨てます。
で、さらに新作を書きたいところなのですが、さすがにブロマガを放置しすぎたことに思い至ったので、こうして更新することにしたわけです。
記事の1本や2本、小説を仕上げている最中にささっと書いてしまえば良いようなものですが、じっさいにはなかなかそういうわけには行かないようです。
小説と記事では、やはり頭の違う箇所を使っているらしいんですね。その切り替えが、案外、むずかしくて手間がかかる。頭の中が創作モードに入ってしまうと、そのことしか考えられなくなってしまうんですね。
また、一旦、頭をブログモードにしてしまうと、創作モードに戻ることがむずかしい。まあ、創作は「趣味」で、ブロマガは「仕事」なので、仕事を優先させるのが当然だとは思うのですが……。どうも気分がアマチュアですねー。
それにしても、自分で書いてみると、小説というか物語を書くことのむずかしさに突き当たります。ひとの作品に適当に文句を付けることに比べて、自分で創作することは何とむずかしいのでしょう!
いや、ほんとに痛感させられますね。自分で創作して読ませてくれる人たちは、ぼくにとっては神さまとも、仏さまともいえるありがたい方々なわけで、心から感謝したいところです。だからといってケチをつけないわけではないんだけれどね。
ある作品ないし行動を俯瞰して眺めて評価するとき、評価する側が「偉そう」に見えてしまうのは、これはもう構造的にどうしようもないことです。
どんなに謙虚な態度を取ろうとしても、そもそも「評価する」ということ自体が「上から目線」の行為であるわけですから。また、外から見ているとひとの欠点や短所がよく見えてくることもたしかなんですね。
しかし、だからといって、外から評価しているひとが常に賢かったり偉かったりするかといえば、そんなことはないわけです。
たとえば、テストで98点を取った答案を見て、2点ぶんの失敗をまな板に乗せて、「ここは間違えているよね」と語ることはできる。しかし、だからといってそのひとが98点を取れるかといえば、そんなことはないわけです。
しかし、どうしても外から見てばかりいるとその点を錯覚してしまいがち。だから、時には自分で実践することによって、自分の限界と無能さを思い知っておく必要がある。
これは創作に限らず、何にでもいえることだとは思います。そうしないと、万能感の奴隷になってしまうんだよね。ぼくはよく「何もしない者にとっては、何もかも簡単」というのですが、その言葉はそういう意味が込められています。
自分で何も行動せず、主張せず、ただ他人を批評しているだけなら、ひとは万能でいられるのです。でも、それじゃ、一生、無知無能のままなんだよなあ。それが幸せなのかもしれないけれど。
さて、ブロマガを休んでいる最中、
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