戦争という名の悪魔の娯楽。大西巷一『乙女戦争』に人間の残虐と醜悪を見る。
大西巷一『乙女戦争(1)』を読みました。おそらくこれを読んでいる方のなかでも知らない人のほうが多いタイトルなのではないでしょうか。
当然、知っているひとは知っているのでしょうが、ぼくは購入するまでまったく内容を知りませんでした。新たな作品との出逢いを開拓したくて、カンだけで買ってみたのですが、いやー、今回は正解だった。この漫画、面白いです。
「乙女戦争」というタイトルからだけではわかりませんが、この物語の背景となっているのは1415年、プラハの神学者ヤン・フスが教会の腐敗を批判し、異端として処刑されたことから始まる「フス戦争」。
フスや「宗教改革」のことは知っていても、日本人にはあまりなじみがない戦争ですが、「初めて銃が本格的に使用された戦争」ということで、主人公の少女も銃を持って戦うことになります。
ちなみにこの少女、物語冒頭でいきなり強姦されて死にかけます。あまりにもえげつないけれど、的確な展開だと思う。じっさい、こういうものなんだろうなあ、と。
この一事だけではなく、作者の描写は全編にわたって容赦なく、人々は拷問めいた苦痛のなかで死んでいきます。そこには決して「クリーンな死」は存在しません。どこまでも血と泥にまみれて、だれもがみじめに死んでいくことになるのです。
一応、格好いい騎士なども出て来はするのですが、基本的には権力者たちの愚かしい闘争が下々を苦しめている構図があるばかりです。戦争の非道さ、残虐さというより、人間の非道さと残虐さがよく伝わって来ます。
この頃の戦争には大量破壊兵器こそないけれど、人間のやることはあまり変わりがないので、決して「人道的」ではありません。敵の女と見れば犯し、男と見れば殺す。そういうものなんですね。
ぼくなどは戦争の悲劇というと「東京大空襲」や「原爆」といった大量破壊兵器による死のことがまず思い浮かんだりするのですが、人類の歴史上においては、ひとが直接手を下した死のほうが多いのだと思います。
人間はその気になればいとも簡単に人道やら倫理やらを手放せるのです。戦時において非道を働く連中が生まれつき邪悪だというわけではないでしょう。
あたりまえの人間がやらかすことがいちばん恐ろしいということなのでしょうか。まあどうであれ死の悲惨さに違いがあるはずもないんですけれどね。
それにしてもこの漫画のなかで描かれる死は恐ろしくもおぞましい。延々と続く苦痛、この世の地獄の再生産――それが戦争なのでしょう。
いまからみれば貧しい時代においても、人々にはその時代なりの幸福があるわけですが、戦争はそれをねこそぎ破壊してしまう。戦争とはありとあらゆる幸福や生活をすべて踏みにじる巨大な車輪のようなもなのかもしれません。
戦争は戦場で完結しているわけではなく、むしろほんとうの悲劇というべきなのは兵士による民間人の虐殺であったり、強姦であったりするということがこの作品を読んでいるとよくわかります。
英雄たちの花やかな戦いという幻想の陰には、いつでも民間人たちの無残な死という現実がある。実にぼく好みの題材で、これはほんとうに読んでよかったと思う。どんな気高い理想があろうが、くりひろげられる現実は悲惨で醜悪なものだよね。
ここらへん、『Fate/Zero』で衛宮切嗣とセイバーが展開する議論を思い出します。いつの時代も、花やかな英雄たちこそが戦争の汚穢な現実を隠蔽する――。
英雄というものが一面ではいかに罪深いか、という話ですね。しかし、一方では
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