話題の映画『劇場版魔法少女まどかマギカ[新編] 叛逆の物語』を観た。以下はそのネタバレ記事。
もう一度云う。「ネタバレ」記事だ。初めから終わりまで鑑賞していることを前提に情報を公開している。映画未見の方は、悪いことは云わないから、読まないほうがいい。
あるいは、映画未見のうちに、テレビシリーズの安易な続編を予想して、大して内容に期待していない方もいらっしゃるかもしれない。
そういう方も、この記事を読んではいけない。とにかくまずは見てみるべき。内容については何も語らないが、テレビシリーズを何らかの形で楽しんだ人間なら見ておくいたほうがいい一作だと断言できる。ほんとうはそれさえ口にしたくないのだが――。
そういうわけで、以下はネタバレだらけである。覚悟して読んでいただきたい。Do you understand? 先へ進むことにしよう。
さて、映画をご覧になった方はおわかりの通り、『叛逆の物語』は紛れもなく叛逆の物語である。世界のすべてを見守る女神と化したまどかへの、暁美ほむらの叛逆の物語。
物語終盤、ほむらは「魔女」をも超え「悪魔」と化す。それはただひたすらまどかへの愛のため。そう、『叛逆の物語』はまたとなく過激なラブストーリーだったのだ。
ほむらのまどかへの愛(という名の欲望)は、まどかを神の座からひきずり下ろし、ひとりの少女に戻してしまう。
それは彼女の暴力的なエゴに過ぎない。しかし、それを云うならまどかの魔女救済もエゴである。どれほどの大義を背負っているとしても、個々の意志を無視し、かってに救いだしていることに変わりはない。
即ち、ここにおいて『まどマギ』は、世界の法則をも揺り動かす巨大なエゴがぶつかり合う壮大な神話的物語へ姿を変えたのである。
テレビ版『まどマギ』は、それはそれでひとつの衝撃的な、独創的な、そしてきわめて美しい物語であった。その上、めったにない完成度で完結している。
この名作にさらに屋上屋を架す意味はあるのか。多くのファンは考えたことであろう。そしていくらかの期待とともに不安と猜疑も抱えて劇場へ赴いたファンは、まず、圧倒的な演出と作画に遭遇する。
じっさい、この映画はただ美術品として見ているだけでも愉快だ。魔法少女たちの戦いの背景となる異空間、いわゆる「イヌカレー空間」はいっそうオリジナリティを増し、目も綾な、あるいはおぞましく毒々しい個性で観客に迫る。
また、ひとりひとりの魔法少女たちの愛らしさはどうだろう。まどかは、ほむらは、さやかは、杏子は、マミは、テレビシリーズをはるかに上回る繊細さで描きこまれている。
まどかが動く。観客の心も動かされる。ほむらが微笑む。愛くるしくてたまらない。一本のアニメーション映像作品として『叛逆の物語』は傑作と云うしかない。
その美しさ、怖さ、可憐さ、おぞましさ。どの面から見ても冴えている。なかでも魔法少女たちの変身シーンは出色。
映画のテンポは少々失速を余儀なくされるが、この、いっそ不安をそそるような映像美はどうだろう。思春期の少女の光と闇を描くアニメーションとして、これ以上のものはめったにない。
そして、その物語。今回、多くのファンが最も不安に思っていたのは脚本だろう。テレビシリーズの最終回がひとつの極北を示していただけに、もう「この先」はありえないのではないかという推測には妥当性があった。
しかし、凡夫の予測はしばしば現実に上を行かれる。結果として、『叛逆の物語』のシナリオは虚淵玄の最高傑作を究める。歴史的なマスターピースと云っていい。
たしかに、テレビシリーズの錯綜した人間関係を踏まえ、さらに多重的な逆転を仕込んでいるだけに、一定の難解さは禁じえない。作中の情報量は膨大、ひとことでも聞き逃がせばわからなくなってしまう。
とはいえ、それはあえて云うなら『新世紀エヴァンゲリオン』のような観客を突き放す難解さではない。状況は最大限に親切に説明されている。ただ映画の構造的な限界があるだけだ。
物語は終盤までほむらの内面世界を舞台に進行していくわけだが、それ自体はもちろんさほど独創的ではない。
奇才押井守の名作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を思い出したひとも多いだろう。また、そこから脱出しようとする後半の展開も特にサプライズはない。
しかし、クライマックス、魔女化を目前にしたほむらが、救済に訪れた「円環の理」ことまどかを掴み、「堕天」させる展開は、ほとんどの観客のイマジネーションの上を行ったに違いない。
この瞬間、『叛逆の物語』は単なる「非常によくできた続編」以上のものとなった。テレビシリーズの構造そのものが書き換えられ、物語宇宙全体が新たなステージへと足を踏み入れる。その戦慄。素晴らしいとしか云いようがない。
本作で何より心を打たれるのは、監督脚本を初めとする制作陣の誠実さであり真摯さだ。云い換えるなら無上の志の高さ。
おそらくはテレビシリーズのヒットを受けての当初の企画にはない続編であるにもかかわらず、あらゆる面で最高の品質が保たれ、一切の手抜きが見られない。
制作陣は至上の執念と情熱とでもって、それじたい奇跡的なマスターピースであったはずのテレビシリーズを超克する物語を生み出そうとし、成功したのだ。
叛逆の物語――ほむらはここで観測者インキュベーターの思惑をも超え、最愛の女神に叛逆する。待ち受けるはあるいは冥府魔道。祝福されざる魔性の道へ足を踏み入れた者には、女神の救済さえ及ばない。
だが、それでも
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こんばんは、海燕さん。
私も初日に観ました。感想を一言で言うと、「デビルほむほむサイコー!」です。長い間地獄の底の道を歩き、自分を律し続けてきたであろう人間があそこまで欲望を肥大化させるのは、一種のカタルシスを感じました。
正直な気持ちを言うと、途中までストーリーに退屈さを感じていました。魔女と化したほむらをみんなが救おうとする展開にはちょっと興奮しましたけれども、設定を把握しきれずに不完全燃焼でした。そこに至るまでの映像は、文句なしに素晴らしのですが。
でも、ほむらが悪魔化してからは、私にとって大変好ましい展開でした。どうも私は、それが例え悪意だろうと私利私欲だろうと、人間の丸裸な意思が徹底的に描写されているのが好きなようです。そのため、ほむらには「よくぞここまで欲望に忠実になってくれた!」と言ってあげたい気分です。
あと、悪魔化してからのほむらはやたらと色っぽかったですね、表情や仕草などが。巨乳や下着等を見せなくても色気は出せる、という好例かもしれません。