親より稼ぐネオニート―「脱・雇用」時代の若者たち (扶桑社新書)



【海燕の実態】

 ふう。疲れた。朝から駅前の病院に行って薬をもらってきました。

 べつに突然病に倒れたわけではなく、あらかじめ予約した時刻に行って帰ってきただけですが、それでもちょっと遠いところまで往復すると疲労します。

 体力ないなあ。なんちゃってトレーニングのほうは微妙に効果が出てきたような気もするのですが、どうなんだろ、そう錯覚しているだけかもしれない。とにかく続けなければ。

 とにかくフリーランスはこういうときいくらでも時間の融通が効くことが素晴らしいですね。フリーランスとは云っても実態はプアニートだけれどね。

 ぼくはしょっちゅう貧乏貧乏、ニートニート、ひきこもりひきこもりと連呼するので、どの程度ほんとうなのかと疑っている方もいらっしゃるかもしれません。

 でもじっさいプアだし、仕事はないし、あまり家から出ない生活をしているんですよ。

 まあそうはいってもTUTAYAとかGEOに行ったり、いろいろと外食したりはするので、完全な貧乏ともひきこもりとも云えませんが、でもほんとうに部屋から一歩も出ないひきこもりのひとは、ひきこもり全体のなかでも少数派らしいです。

 とにかくお金がないことは事実で、もし実家暮らしでなかったら、そうとうカツカツの生活をする羽目になったでしょう。

 何しろ諸々の収入をすべて足し合わせても、新潟県の同世代男性の平均年収にまるで及びません。

 まあブロマガの収入は少しずつ増えつづけているので、いつかは追いつくかもしれませんが、でもどうなんだろうなあ、そういうニンジンが目の前にぶら下がっているだけかも。



【啄木ライフ】

 そういうわけでぼくは貧しい身の上なのです。まさに気分は石川啄木。「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る」。