自分にとって特別な作品に気づくセンサーを持とう。(2139文字)
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過去の記事で、情報過剰時代を楽しみつくすには、すべての基準を自分に持ってくる「主体性」が大切だと話して来ました。
いまの時代、もう一生かけても味わいつくせないほどの娯楽がちまたにあふれているわけで、そのなかからどれを選び、どれを捨てるか、その選択をあくまで主体的に行っていくことが肝心なのだと。
中島梓は「「娯楽」というのは、ただのありあまる、「自分を選んでくれ」と叫んでいる無数の選択肢からつまらなそうに一つ取り上げてはまた放り出して気まぐれにつつく、ということではなしに、「一年間その日のくるのを楽しみに待っている」ほど重要なものであったはずです」と云っています。
それはたしかにそうでしょう。1年にたった1度しかないハレの日の「祭」の歓びを、ぼくたちはもう想像することすらむずかしい。
なぜなら、現代においては毎日がハレであり、それ故に非日常的なものであったはずの娯楽も、日常の一風景と化してしまったからです。
【毎日がハレの日。】
毎日ごちそうを食べているとそれがごちそうだとは感じられなくなるように、毎日楽しむ遊びは遊びとしての意味を失います。
いまやあたりまえのものとなった娯楽は、刺激的なものではなくなり、ただまったりとゆったりと楽しむことしかできなくなったのです。
しかし、それでもなお、まさに奇跡としか云いようがないような
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