聖母セーラームーンから『エヴァ』、『ピングドラム』へ続くさみしさの物語の系譜。(2222文字)
監督は『少女革命ウテナ』、『輪るピングドラム』の幾原邦彦。いやー、幾原さん、『ウテナ』の前は『セーラームーン』を作っていたんですね。
ぼくは『セーラームーン』には全く詳しくなく、原作を読んでいない上にアニメ版を観るのはこれが初めて。
まあセーラー戦士の顔と名前くらいは全員一致しますが(基礎教養)、基本的には何も知らないと云っていい状況でした。
この『R』が名作と云われていることは知っていたけれど、あまり興味もなかったわけです。
で、初見の感想はというと――なるほど、これはいい話だな。『セーラームーン』ってこういう構造の話だったのか。
この劇場版の敵役は宇宙をさまよう少年フィオレ。おそらく十数年ぶりで地球に帰ってきたかれは悪魔の花キセニアンに心を支配され、かつて親友だった青年、衛(タキシード仮面)たったひとりをのこして人類を亡ぼそうとします。
そこにセーラームーンたちが立ちふさがるわけですが、フィオレの絶望的な孤独を前に、次々と斃れていき――というお話。
当然、最後はセーラームーンたちが勝利するわけですが、ただ暴力でフィオレを排除して終わるのではなく、フィオレの孤独を愛で抱擁する結末になっているあたりが幾原邦彦の作家性なのかな、と。
フィオレは物語の最初から最後まで「さみしい」と口にしつづけます。そのどうしようもない「さみしさ」を癒せるのは唯一、衛との友情(ボーイズラブにしか見えないわけですが)。
なぜなら、幼いころに家族を失った衛もまた癒やしえない「さみしさ」を抱えているからです。フィオレと衛は似たもの同士で、その頃に衛からもらった薔薇の花がかれにとっての宝物なのでした。
大人になったフィオレはセーラームーンが衛を騙しているのだと決めつけ、彼女を攻撃します。しかし、セーラームーンはかれに無私の愛を見せつづけます。
そして、物語の最後に、衛がフィオレに送った薔薇は実は幼い月野うさぎ(のちのセーラームーン)が衛に渡したものだということがわかります。
つまり、フィオレが衛からもらったと思っていた愛情は、実はうさぎに端を発していたものだったのです。
そのことを悟ったフィオレは地球を亡ぼすことをあきらめます。
つまり、これはフィオレの孤独とセーラームーンの愛の対決とセーラームーンの勝利の物語なんですね。
じっさい、この作品を見てみると、これが庵野秀明の『エヴァ』に影響を与え、また『ウテナ』や『ピングドラム』などに続いていくことはすごくよくわかります。
これはまさに『エヴァ』や『ピングドラム』などの「さみしさの物語」の原点だからです。愛に飢えたさみしい子供たちのお話。
『エヴァ』にしろ、『ピングドラム』にしろ、
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コメント
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記事読んでセーラームーンの劇場版見たくなりました〜。
時事ネタはいいですね。セラームーンのミュージカルと新アニメももうすぐですし。
進撃の巨人の記事も読んでみたいです。
関係ない話ですが、海燕さんのブロマガをプッシュしてくれてたかわんごさんがtwitterを辞められたのは痛いですね…。
私が入会したきっかけでもあったので残念です。会員数伸びますように。
(著者)
ああ、かわんごさん、Twitter辞められたんですか。いったい正体は何者だったんだろう(すっとぼけ)。まあお世話になりました。恩に報いるためにも会員数をのばしたいところです。