いまのところ、相田裕『バーサス・アンダースロー』を商業誌で読むことはできない。同人誌として刊行された作品だからである。しかし、それにもかかわらず、この漫画は第14回文化庁メディア芸術祭の審査委員会推薦作品に選ばれた。
いくらか青田買いの意図があったにせよ、同人作品がこうも高い評価を受けるとは異例のことだろう。そしてまたその評価に値する作品である。ペトロニウスさん(@Gaius_Petronius)はこの物語を昨年のベストに選んでいる。いわゆる「日常系」のひとつの頂点として、あるいは「新しい日常系」の端緒として、注目に値する作品だ。
『バーサス・アンダースロー』は、ある学校の生徒会を舞台にしている。葵せきな『生徒会の一存』やリトルウィッチの『ピリオド』を代表として、生徒会を主役に据えた物語は少なくない。ただ、この作品はそうした過去の物語とはどこか一風違っているようにも見える。
おそらくその特色は、この生徒会の日常が、ひたすら楽しいばかりではなく、挫折と喪失の哀しみを抱えている点にあるだろう。主人公の「会長」はあるときめった打ちされて投手を辞めてしまった少女だし、もう一方の主役ともいうべき烏谷(カラスヤ)もまた肩を壊して野球を辞めている。この生徒会は人生の夢をひとたび断念してしまった者たちが集まるところなのだ。
ただ、だから湿っぽくわが身の不幸を嘆いているかといえば、そうではない。生徒会の面々は、そんな折れてしまった日常を、あくまで楽しく面白くテンション高く生きている。それは『究極超人あーる』から連綿と続く日常を楽しみ尽くす系統の物語そのままだ。
ただ、そこにあざやかに夢が折れてしまったことの哀しみが彩られているあたりが新しい。ここにあるものはもう、ひたすらに楽しいだけの限定的な日常ではないのだ。ぼくはこの作品を読んで初めて『けいおん!』が理解できるようになったように思う。ぼくはまだ全編を見終えたわけではないが、あれはやはり過渡期の作品なのだろう、と。
『らき☆すた』のようなひたすらに楽しいばかりの日常系と、『バーサス・アンダースロー』のような哀しみを抱えた日常系のブリッジ。いまさらながら『けいおん!』を全話見なくてはならないと思うようになった。そういう意味でも『バーサス・アンダースロー』には感謝している。
『バーサス・アンダースロー』は穏やかな日常の物語ではあるものの、おそらくは『GUNSLINGER GIRL』の激烈な非日常のテンションと連続している。吉田秋生が描いた『BANANA FISH』の外伝短編「光の庭」を思い出す。
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