弱いなら弱いままで。

人形と人形使いのゲーム。相田裕、栗本薫、永野護らが描こうとしているものは何なのか。(1734文字)

2013/01/04 00:15 投稿

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GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)

 先日、相田裕『GUNSLINGER GIRL』を読み上げた。傑作である。昨年完結した漫画のなかでも指折りの作品だろう。傑作は多様な解釈を許す。この物語もひとによって注目するところが違うと思う。ぼくは主役陣の関係性に目が行った。

 この作品の主人公は「フラテッロ(兄妹)」と呼ばれる男と少女の二人組である。対等の相棒ではない。男が少女を一方的に洗脳し支配する歪んだ関係。そこには、ペトロニウスさん(@Gaius_Petronius)が「「つくるもの」と「つくられるもの」の葛藤」と呼ぶ物語類型がある。一方が他方を支配し、管理し、創りあげる非対称な関係が生むダイナミズム。

 単なる支配、被支配関係のどこにダイナミズムがあるのかと思われるかもしれない。しかし、支配と被支配の関係は必然に逆転の可能性を孕む。いい換えるなら、そこまで描き切って初めてこのテーマは完遂する。

 ペトロニウスさんは栗本薫

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