高橋大輔 Plus [DVD]

 先日、テレビでフィギュアスケートのグランプリファイナルを見ていた。高橋大輔がパトリック・チャンらを破って優勝を奪い取ったあの試合だ。そのときの高橋の演技には瞠目するべきものがあった。

 素人目に見ても、流れるような演技と見事なジャンプは、過去の高橋をはるかに上回るものであるように思えた。何より、大きなプレッシャーがかかっているはずのグランプリファイナルで、余裕すら感じさせる堂々とした滑りはが素晴らしかった。

 これがほんとうにかつては「ガラスの心臓」と呼ばれた男なのだろうか。ほんとうに大きく成長したものだ、とひとりテレビの前でうなずいた。このひとはたしかにひとつの壁を乗り越えたのだ。ライバルであるはずの後輩選手との親しげな様子もほほえましい。

 高橋は過去、何度か深刻な怪我をしている。あるときなどリハビリの苦しさから逃げるようにして一週間も失踪したこともあった。選手生命をおびやかすほどの巨大な「試練」。しかし、その試練を乗り越えることによって高橋はひと回りもふた回りも成長したのだろう。

 あるいはこの試練がなかったならかれはここまでの選手になれなかったかもしれない。試練はひとを挫折させ、絶望させもするが、飛躍させもするのである。もちろん、それはその試練を乗り越える力がそのひとにあればという話。試練を乗り越えられなかったなら人生はそこでつまづく。

 試練を乗り越えられるひとと乗り越えられないひとの差はどこにあるのだろう? それはわからないが、もしかしたらほんの紙一重の差であるのかもしれない。しかし、その紙一重が決定的な差でもある。

 どんなにみっともなかろうと、あがきにあがいて壁を乗り越えたひとと、そうできなかったひとでは、最終的に小さくない差ができる。何か過酷な試練が襲いかかってきたとき、ひとは運命に試されているのだ。

 歌謡曲歌手の舟木一夫というひとがいる。『高校三年生』などの名曲で知られる「永遠の青春スター」だ。いまでこそ人気が再燃しているものの、かれには十数年に及ぶ不遇の時代があった。その時代に船木は何度となく自殺未遂を起こしている。

 しかし、いまの船木はそんな過去を微塵も感じさせない溌剌とした男性である。かれを見ているとつくづく思う。これが試練を乗り越えるということなのだと。