あんちゃん (新潮文庫)

 時代小説家の山本周五郎が好きです。生涯、ありとあらゆる文学賞を固辞しつづけ、つむじ曲がりといわれたという作者の性格も好きならば、その巧緻を尽くした小説世界も好きでなりません。

 『赤ひげ診療譚』、『さぶ』、「わたくしです物語」、「なんの花か薫る」、「人情裏長屋」、それに『椿三十郎』の原作であるところの「日日平安」。いずれの作品もいぶし銀の魅力を備え、可憐で、堅実で、非常に読ませます。

 ときにあっというまに「腐る」といわれるSF小説などに比べて、時代小説の寿命は長い。おそらく日本人の美質をいまに伝える山本の作品は今後も長く長く読み継がれていくことでしょう。マジメな話終わり。

 さて、その大作家山本周五郎のなかに『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』をも凌ぐ珠玉の兄×妹小説があるといったらあなたは信じてくれるでしょうか。以前からぼくはこれこそ究極の兄×妹小説だと公言しているのですが、あまりひとは真面目に受け取ってくれません。

 でも、この結末の素晴らしさはちょっとほかに類例がないんじゃないかと思う。『俺妹』の最終巻も待ち遠しいものがありますが、この作品ももっとオタク的に知られてほしいものです。まあ、この小説を読んで「も、萌え萌えきゅんきゅん!」などと悶えているのはぼくだけで、ほかの読者はもっと渋い作品として受け止めているのかもしれませんが……。

 以下、あらすじを語ります。全面的にネタバレしますので、自分で読んで知りたいという方は読まないでください。OK?

 さて、物語は竹次郎という男を主人公にして始まります。なぜか自暴自棄になっているこの若者が、ひとりの男に出逢い、自分の秘密を告白しようと考えるところから巧みに話は紡がれていきます。

 山本周五郎はミステリを好きだったらしく、コーネル・ウールリッチに影響を受けたと思しい作品なども書いているのですが、この作品もひとつの謎で読者を惹きつけます。なぜ竹次郎はやけになってしまっているのか? かれはどんな秘密を抱えていて、それ故に「おらあけだものなんだ」などというのか?

 まあ、こう書けば、またこのタイトルを見ていればわかるひとにはすぐわかるかもしれません。竹次郎は実は自分の妹に恋情とも性欲ともつかない想いを抱き、それで苦しんでいたのです。

 自分のことを無邪気に信頼し、何の疑問もなく従っているかに見える妹。その妹に、兄妹の関係を超えた感情を抱いた自分という存在をかれは許せず、そのためにひたすらに己を責め、責め、そして自棄になってうろついていたというわけなのです。