弱いなら弱いままで。

正しく頑張るとはどういうことか。自分を自然な成長へ導く努力の三つのルール。(2176文字)

2012/12/03 14:11 投稿

コメント:1

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ノンタンがんばるもん (すきすきノンタン)

 努力については、以前にもひとつ記事を書いた。「あなたの努力は有意味ですか? 「努力」を「苦労」と混同するひとたち。」と題する記事である(http://ch.nicovideo.jp/article/ar19611)。今回は少し違って視点からふたたび努力について書いてみたいと思う。努力には「正しい努力」と「間違えた努力」があるという話。

 正しい努力とは何か。それは無理なく成長の階段を登っていけるタイプの努力のことである。「正しい成長」は「正しい努力」とワンセットであり、正しく成長していきたいならば、正しい形での努力をしよう、ということがいえる。

 間違えた形で努力をしつづけても、成長しつづけることはできないのである。したがって、努力とはただしゃにむに行えば良いものではないということになる。持続的な成長のためには「丁寧に」努力することが必要だ。

 もちろん、我を忘れて努力に没頭することも必要なのだが、同時に時々、自分の努力のやり方が間違えていないかチェックすることも大切なのである。「努力している自分」に陶酔するな。時には自分自身を突き放し、客観視せよ。と、そういうことになる。

 努力とはそれじたいが目的なのではない。あくまで目的は成長するや結果を出すことであって、努力を目的化してしまうとその時点で結果は出なくなる。もちろん、その行為そのものが楽しいというのなら悪いことではないが……。

 それでは、具体的にどうやって「正しい努力」と「間違えた努力」を見分ければいいのか。ぼくの考えでは、「正しい努力」には以下のような三つの特徴があると思う。

 

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コメント

『正しい努力』じゃないかもしれないけれど、
4.努力をやめられないようにすること。も大事な気がする。

別に自分を追い詰めるとか努力を義務にするとかじゃないけど、
それこそ2の楽しみがあれば1の長期的に努力がやめられない。
で3でちょっと休憩してまた努力したくなる。

って考えると『正しい努力』は『楽しい努力』であるべきなんだろうなぁ。

No.1 145ヶ月前
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