弱いなら弱いままで。

「オタク中年化問題」はほんとうに問題なのか?

2021/01/15 22:35 投稿

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 シロクマさんの「オタク中年化問題in2021」と題する記事を読みました(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20210114/1610624627)。

 「オタクは中年を過ぎても続けられるとは限らない。人によってはオタク趣味から離れていく」という、まあ、あたりまえと云えばあたりまえのことをある種の悲哀を込めて詠嘆した内容です。

 で、ぼくはこの記事にどうしても強烈な違和感が消せなかったので、ここで自分の記事にしておきたいと思います。

 それでは、何に違和を感じたのか? それは結局、「オタク趣味を続けること」を「若さ」の特徴として描いているという一点に尽きるのではないかと思います。

 この記事のなかで、シロクマさんは「オタク趣味はいつまでも続けられない」ことをきわめてネガティヴに捉えているように見えるのですね。

 もちろん、一方で彼はこうも書いています。

こうした、オタクの年の取り方みたいな話をセンシティブに受け止める人もいらっしゃるので書いておきますが、私は、オタクをやめたくなったらやめたっていいし、ガンダム念仏会みたいな旧オタク集団があちこちでzoom飲み会をやったっていいとも思っています。もちろん、変質・変節しながらも現役に踏みとどまり、今という時を呼吸している人達はたいしたものだと思いますし、そういう古強者の姿に励まされることもあることは断っておきましょう。
 
それでも人は年を取るし、人は変わっていくのです。時代だって変わっていく。諸行無常。そうした時間の流れからオタクだけが無縁でいられるという道理はありません。ゲームで完徹するのが辛くなるし、コミケの前日に泊まる宿のグレードを上げたくもなる。そして個人個人でみればエイジングの足音に差異はあっても、全体としてみればオタクではなくなっていく人、かろうじてオタクの名残りをとどめている人は増えていきます。オンラインでもオフラインでも趣味から遠ざかっていく人は出てくるし、ときには一週間前に見たアニメが今生の最後のアニメだった、などということも出てくるわけです。

 つまり、「オタク趣味を続けられないことは一概に悪いことではないよ」と断っているわけですが、ぼくにはこのような注意を設けること自体がそれをネガティヴに捉えていることの証左であるように思えます。

 もし、ほんとうにそのことに何の問題もないと思っているのなら「オタク中年化問題」などと題してことさらに問題視したりしないでしょうから。

 で、ぼくはここに非常に違和を覚えるわけです。「いや、オタクは歳を取ったって変わらないのだ」と云いたいわけではありません。

 そうではなく、そもそもそのように「歳を取ること」をネガティヴに受け止め、「若い頃のままであること」をポジティヴに捕らえることそのものが老人の感性だ、と思うのです。

 なぜ若い頃、オタクだったからといっていつまでもオタクを続けなければならないのでしょう?

 何であれ、いわゆるオタク文化、アニメとかゲームより面白いと思うものを見つけたならそちらへ趣味の主軸を移すことはぼくにとってはポジティヴな意味こそ持っていても、まったくネガティヴなことではありません。

 「盆栽最高!」とか「いやー、いまになって俳句のラディカリズムがわかってきたわー」ということがあっても良いし、そういうふうに感じている人たちは形だけオタク趣味を続けている人よりよほど若い感性を持っていると思うのですが、いかがでしょう?

 ぼくが云いたいのは、「いつまでも若々しくあること」は「いつまでも若い頃と同じことを続けていること」とイコールではないということです。

 この違いがわかるでしょうか? つまり、ほんとうに若い心を持っている人は変化を恐れず「ずっとこのままでいたい」とは考えないということです。

 たしかに、オタクに限らず、加齢とともに感性が鈍り、衰えていく人は多いでしょう。そのために若い頃の趣味を同じように続けていられない人も少なくないかもしれません。

 しかし、もしその人がその「老化」を厭うとしたら、それに対する処方箋は「若い頃と同じ行動をずっと続ける」ことではありません。

 若い頃にアニメを見ていて楽しかったから同じようにアニメを見つづける。それはひっきょう、現状維持の発想であり、老人の考え方です。それに対し、ほんとうの若者はつねに新しいものに飢えている。いつも「もっと!」を求めているものなのです。

 若さとは変化を求め、挑戦を続けることです。その意味では実年齢が何歳であれ、新しいものに挑戦していかない人は老いているし、逆にチャレンジしつづける人は若いのです。

 当然、歳を取ってからも趣味としてアニメを見つづけても良いでしょう。しかし、「若い頃と同じ感性でいたい」と考えることは無意味です。否、そう考えている時点ですでに「若い頃」の感性を失くしてしまっているのです。

 こういう話をしていると、ぼくは『ジョジョの奇妙な冒険』第七部こと『スティール・ボール・ラン』第一巻のセリフ、

「失敗というのは……いいかよく聞けッ! 真の失敗とはッ! 開拓の心を忘れ! 困難に挑戦する事に、無縁のところにいる者たちのことをいうのだッ! このレースに失敗なんか存在しないッ! 存在するのは、冒険者だけだッ!」

 これを思い出します。

 人は「開拓の心」を忘れ、「困難に挑戦する事」を厭ったときに年老い始めるということ。

 もちろん、そういう自分を受け入れて静かに生きていくことも悪くないでしょう。それはそれでひとつの生き方ではある。だれに文句をつける資格もない。それはそうです。

 ただし、そういう人でも「いつまでも同じまま」でいることはできません。どんなに同じままでいようと思っていても、その人を置き去りにして時は残酷に過ぎ去っていくからです。

 だから、現状維持を望むのなら人は確実に衰えつづけていくのです。オタクだっていつまでも同じままでいられるはずがない。これはまさにシロクマさんが書いている通りです。

 荒木さんもずっと『ジョジョ』を描きつづけているわけだけれど、その内容は常に変化し過去を踏襲することがないですよね。それが荒木飛呂彦の天才漫画家たるゆえんなのだと思います。

 そう、森博嗣さんがどこかで書いていたけれど、天才と呼ばれる人たちに共通する特性とは変化を恐れないことだ、と。逆に云えば、変化を嫌い、過去に拘れば、その表現は必ず衰え見る影もなくなっていく。常に変わりつづけることによってしか高みを維持することはできない。ぼくはそう思う。

 いかにも逆説的ですが、維持しようと思っている人はもうその時点で維持できないものなのです。表現者の場合は、その違いはきわめて明瞭に表現に表れます。その表現は「一見、何も変わらないまま」衰えていくのですね。

 とはいえ、基本的に人は「いま」を維持しようと保守的になるものでもあります。その保守性を打破し、リスクがリターンを上回るかと見える領域に突っ込んでいきつづける人は、たしかに稀有でしょう。

 そういえば、ぼくが「なぜ永野護はモーターヘッドをゴティックメードに変えたのか?」と題して放送したYouTubeに、このようなコメントが付きました。

昔は悪く今は良い、未来的?と言うのはどうかなぁ、モーターヘッドは今見ても、全然カッコ良いと、思いますがね、私はエルガイム世代なので、オールドタイプなのですが、デザインを変えるのは良いと思いますが、名称やストーリーまで変える必要はない思いますがね、

 でも、これはやっぱり「エルガイム世代」の「オールドタイプ」ならではの意見だと思うのですよね。もちろん、あまたのモーターヘッドはいまなお「全然カッコ良い」素晴らしいデザインでしょう。

 ナイト・オブ・ゴールドは時を経ても美しい。それは永野護自身が認めている通りです。けれど、それはもう「過去のカッコ良さ」なのです。

 いまの若者たちはナイト・オブ・ゴールドやバッシュ・ザ・ブラックナイトを初めて見ても衝撃や感動を受けたりはしないはず。なぜなら、かれらの世代にとってはそれらのデザインは「普通」で「あたりまえ」だからです。

 永野護本人は、この「モーターヘッドからゴティックメードへ」という一大設定変更についてこんなことを述べています。

 変化を恐れるのは老人だけだ。立ち止まるならその立ち止まった時点で死んでしまえばいい。変化のない未来など夢も希望もないと言うことだ。僕はそう思っている。

 ぼくはまさにその通りだと思うのです。たしかにシロクマさんの云う通り、オタクであろうと時かれは逃れられず、肉体は老いる。それはどうしようもない。しかし、その精神が老いを知るかどうかは、結局は「開拓の心」を忘れずにいるかどうかに拠ります。

 その意味では、肉体年齢とはいささかの関係もなく、若い人は若く、年老いた人は年老いているのです。

 そう、たしかに「感性が鈍ってオタク趣味を続けられなくなった人」は加齢とともに心が老いているかもしれません。しかし、「歳を取っても変わらずオタク趣味を続けている人」だってじつはもうとっくに心は老い果てている可能性がある。

 そして、また、「一見、加齢の結果としてオタク趣味から歳相応の趣味に移ったように見える人」が必ずしも心、年老いているとも限らない。

 大切なのはわくわくしながら新しい扉を開いていくスピリットを維持していられるかどうかであって、オタク趣味を続けているかどうかは表層的な意味しか持たないのです。

 いつまでも若々しくありたいと願うなら、若い頃と同じでありたいと思ってはならない。これは、少々気の利いた逆説であるように考えるのですが、いかがでしょうか。 

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