弱いなら弱いままで。

萌え絵は公的に認められてはならないのか? 「フェミニスト」の誤謬を追う。

2020/12/23 20:00 投稿

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 あるるもさんという現役女子高生がいわゆる「萌え絵」的な絵画で大きな賞を受賞したことがTwitterで話題となっている。該当ツイートを引用したいところだが、あらためて探してみると見あたらない。本人の手で削除されてしまったらしい。

 まあ、あきらかに性的な「萌え絵」が公的に認められたということで、例によって「フェミニスト」が怒っているので、その批判の対象になることを厭ったのだろう。

 とはいえ、何しろその絵を描いて賞に応募したのは少女本人だから、追求し指弾する言説も弱いものにならざるを得ないようだ。これがもし同じ歳の少年が描いた絵だったなら嵩にかかって弾劾したことだろうが。

 「フェミニスト」たちの主な主張はこうである。「本人の表現行為を責めはしない。だが、このような絵に賞を与えることは問題だ」。

 しかし、これはさすがに通らない話だろう。いうまでもなく、性的な表現は美術、芸術のひとつの主流となるものだからである。

 フラヴィオ・フェブラオの『エロティック美術の読み方』を捲ってみると、エロティックアートがどれほど長い歴史と膨大な作品を有するかを知ることができる。

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 いまから3000年以上前の古代エジプトにはすでに性行為を描いた絵画が見られる。そして、性の抑圧に熱心であったはずのキリスト教国も含め、どこの国や文化圏でもエロティックな絵画や彫刻は存在したのだ。

 もしかしたらいや、そのような作品はあくまで「芸術」なのであって、ポルノとして消費されている「萌え絵」とは違うと強弁する人もいるかもしれない。

 しかし、アートとポルノを明確に分断することは不可能である。たとえば田中雅志の『エロティック美術館』を読むと、貴族たちが収蔵していた美術品がポルノ的に消費されていた事実を知ることができる。性と芸術は両立する。「わいせつか、芸術か」という問いは無意味なのだ。

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 もっとも、すでに高い評価を得ている性的な芸術作品を市場や美術館から追放しようとする動きもないではない。すぐに思い出すのは、ピカソに「20世紀最後の巨匠」と激賞されたバルテュスの『夢見るテレーズ』に対して撤去や但し書きを求める署名運動が巻き起こったことだ。

 性的とみなされうる作品は、たとえどれほど高度な芸術であれ、公共の場にはふさわしくないと考える人は少なくない。しかし、そのような発想は 

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