海外は強い表現規制があるのに対し、日本は規制が緩やかなので画期的なアイディアや過激な表現が生まれやすいのです。中国や韓国の作品はマニュアルを真似て上手なのですが、『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』など読者に広くインパクトを与える作品は少ないと思います。
なぜ表現規制は創作市場を殺すのか。
今月号の『ニュータイプ』掲載の『ファイブスター物語』を読みました。ストーリーは先月から詩女マグダルを主人公とした第17巻収録予定のエピソードに移っており、じっさい、辺境の衛星カーマントーにおける彼女の過酷な日々が描かれています。
しかし、今月最大のトピックはそこではなく、マグダル及びデプレの従弟である剣聖マキシ登場に尽きるでしょう。マキシはジョーカー星団最強の騎士であり、成人したのちは凄まじい戦いをくりひろげ、最終的には昇天して「神」となった人物。
しかし、この時点ではまだただの少年に過ぎません……いや、この時点ですでに一般的な騎士たちが束になっても敵わない圧倒的な実力を秘め、しかもまともな道徳、倫理が欠落した狂気ともいえる性格をも備えているようですが。
『ファイブスター物語』にはいろいろな「悪人」、「狂人」たちが登場します。騎士として強大な力を持っているためにだれにも止められない殺人鬼など、アマテラスのミラージュ騎士団には何人もいますし、そのくらいはむしろ「普通」なくらいです。
しかし、マキシの「狂気」はそういった殺人淫楽症とすらまったく違っているようなのです。人としての倫理を一切有していないかれはある意味では純粋です。
殺人や強姦は「悪いこと」であるというその前提すら持っておらず、その超帝國の血を表すうつくしい顔で平然と「おかあさんに子供を生ませるのはお前じゃない、ボクだよ」などというとんでもないセリフを吐くのです。
はたしてこの先、かれがどのようにして成長し、超帝國剣聖たちをも凌ぐジョーカー太陽星団の文字通りの最強騎士として勇名を馳せるようになるのか、注目です。
それにしても、まわりが注意していないとあたりまえのようにじつの母親を犯したり殺したりしようとするマキシ、『ファイブスター物語』史上でも屈指のやばいキャラクターなのではないでしょうか。あのバランシェをも凌ぐかもしれません。
そのマキシが神となって「この世に残した願い」を「奇跡」という形で叶えようとするエピソードがこの後にあるはずなのですが、いったい何が起こるのか楽しみでなりません。相当にものすごいことが起こるということなのですが、何だろうなあ。
『ファイブスター物語』の凄いところはこういう世間の常識をも道徳をも完全に無視してしまう「自由さ」、それに尽きますね。この作品を読んでいると、やはり過剰な表現規制なんてことをしていてはダメだなあ、とあらためて思います。
赤松健さんもインタビューで語っていますが、日本の創作のつよみは表現規制がゆるいところにあります。
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