かつて読み、そうしてあっけなく忘れ去ってしまった名作を再読しようと思っているのだが、どこから手をつけたものか迷う。惑う。思い出はいつもうつくしく、しかし砂丘の蜃気楼さながらに幻で、いまとなってはほんとうに読んだものかどうかすら怪しく感じられる。

 いや、たしかに読んだはずなのだけれど、かぎりなく曖昧な「印象」のほかはほとんど何も記憶していないありさまなのである。特に海外作品はそうだ。さらにいうと短編はまったく記憶できていない。

 一部の、ほんとうにかがやかしい名作はそれでもつよく印象に残っているのだが、そのほかは日々の雑多な記憶に洗われて、何ひとつ残さず消えてしまっている。

 もういちど読み返したとして、その失われた記憶を取り戻せるかどうかはわからない。おそらく無理だろう。しかし、それでも、未読の新作として読んでみるのも悪くはない。そう思う。

 ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」や、「愛はさだめ、さだめは死」。ル・グィンの「帝国よりも大きくゆるやかに」。ロジャー・ゼラズニイの「伝道の書にささげる薔薇」。

q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=415q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=415q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=B07

 こういった短編を読み耽ったのは中学生とか高校生の頃で、おそらくそもそも完全には理解できていなかったのだろう。いま、読み返してみるとどのような感想になるのか興味深い。

 あるいは日本人作家の作品にしても、京極夏彦の『魍魎の匣』や『絡新婦の理』はもういちど読んでみたい。また、『虚無への供物』に『匣の中の失楽』といったいわゆる「四つの奇書」も、この機会にぜひ読み返しておきたい。

q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=B00q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=406q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=406q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=B01