サラリーマンの無駄な努力―支えあって人となる

 さて、本日五本目の記事です。いいかげんにしろという声が聞こえてくる気がしますが、空耳でしょう。幻聴に違いない。無視して書き進めることにします。

 今回のテーマは「努力」。いやですね、努力。なるべくならしたくはないですね。ぼくはいちばん嫌いな言葉が「努力」で二番が「がんばる」です(ちなみに歴代ジョジョではジョセフがいちばん好き)。

 何しろ努力は疲れる。たしかに世の中には「努力大好き」というひともたくさんいますが、そういうひとたちとは友達になれない気がします。かれらはいわばある種の人間性のエリートであって、大抵の人間はできれば努力なんてしたくないはず。ノーモア努力! 

 学生時代に受験勉強で一生ぶんの努力をしてしまって、あとは抜け殻のように生きるというひともいそうですね。しかし、努力とはほんとうにそんなにいとうべきものなのでしょうか? 案外そうでもないのでは?

 いや、お前がいま「疲れる」といったばかりじゃないか、と思われるかもしれませんが、たしかに疲れる努力はある。しかし、疲れない努力もあるのでは? より正確には、いくら疲れても爽やかに感じられる努力もあるように思うのです。

 その快感をひとは「充実感」などと呼びます。充実感。美しい響きですね。ぼくもなるべく努力はしたくありませんが、充実感のある生活を送りたいとは思います。わがまま? それでは、ひたすらに疲れるだけの努力と充実感が伴う努力はどこが違っているのでしょうか。