世界を地獄と見るか楽園と捉えるか。そのヴィジョンにより、ひとは変わる。(2441文字)
まあいいや。さて、まあ、今日も頑張って更新していくつもりなのですが、おそらく送られてくる文章の量が膨大すぎて多くの読者さんが一々読んでいられない状況だと思います。
いわなくてもわかると思いますが、すべて読む必要は全然ないですからね。一応、一定のクオリティは保って書いているつもりだけれど、それでも記事ごとに出来不出来はあるだろうし、興味をひくもの、ひかないものは分かれるだろうから、気になるものだけ読んでもらえればオーケー。
普通のブロマガのかるく数倍の分量があるので、一部をつまみ食いするだけでも十分値段のもとが取れるかと。もともと月額315円程度ですしね。
どうしてこんなにひんぱんに更新するかといえば、ひとつにはアクセスがほしいからで、もうひとつには読んでくださる方へのサービスなのですが、「あまりにたくさん送られてきてウザいよ」という方もいらっしゃると思います。
そういう方はメール配信は切ってブログで読んでもらうといいかも。まあ、ちょっといまのブロマガは一覧性に欠けるのが難点ですが。もう少し過去ログを調べやすいシステムにしてほしいですよね。
さて、きょう最初の記事はまだ気合が入っていないので(というか、いま深夜なので感覚的にはきのうの続きなのですが)、気軽な話題から入ろうかと思います。まあ、ぼくが最近なんとなく思ったりしたことですね。「世界が本来どうあるべきかに関する認識の差によってひとの態度は変わってくる」という話なんですけれど。
こう書くと重たい話みたいだな……。そうでもないんですけれどね。どういうことかというと、「世界とは本来どうあるべきものなのか」というヴィジョンがひとによって全然違っているよね、ということです。
つまり、世界とはもともと地獄のような場所なのだと考えているひともいるし、あるいはそうではなく、世界とは理想的な楽園であるべきものなのだ、と考えているひともいる。そのどちらが正しいというわけではなく、そういうものだよね、ということです。
政治思想的にいうなら前者が右翼的で後者が左翼的ということになるのかなとも思いますが、はっきりしたことはわかりません。
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2013/04/14(日) 02:40 その一歩が世界を変える。わずかな勇気を振り絞り、高貴なる抵抗を貫こう。(2669文字)
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