永野護『ファイブスター物語』はぼくが最も好きな漫画のひとつだ。あるいはこの作品をただ漫画ということはできないかもしれない。膨大な設定を収録した資料集やキャラクター、ロボット、ファッションなどを収録したデザイン集と組み合わさることによって初めて全体像が浮かび上がってくる、そういう特異な作品だからである。
しかし、そうはいっても『ファイブスター物語』はあくまで「物語」であり、漫画の形式で綴られるストーリーに最大の主眼がある。ここでは『ファイブスター物語』の物語世界の構造を分析することによってこの作品の本質に迫りたいと思う。
『ファイブスター物語』の物語の舞台となる世界は、ジョーカー太陽星団と呼ばれる四つの太陽系からなる「星団」だ。物語は主にデルタ・ベルン、アドラー、ボォス、カラミティ、ジュノーという五つの惑星でくりひろげられ、様々な人物たちがこれらの惑星の上を駆け巡る。
このジョーカー太陽星団の国家はぼくたちの生きる民主的な国家とは大きく違っている。多くの国家が王や皇帝と貴族を持ち、それらの人物たちによって管理運営されているのである。
このシステムを過去の地球の中世のイメージで捉えることは必ずしもあたっていない。なぜなら、この世界における王侯貴族とは、身体、知能、精神を改造したかつての支配階級、超人種たちの末裔であることが多いからである。
地球の貴族たちと異なり、かれらはじっさいに超人的な能力を持っており、そのために王として貴族として国家を支配しているのだ。もちろん、その陰謀なり政策なりがときに愚かな争いを生み出すことはわが地球と変わりはないにせよ。
そして、ジョーカー太陽星団には騎士(ヘッドライナー)と呼ばれる特権階級も存在する。かれらもまたかつての特権階級の末裔だが、一般人のなかから数十万分の一という低い確率で生まれてくることも多い。かれらは一般人を大きくしのぐ身体能力を持ち、ファティマと呼ばれる美しい人工生命体をパートナーとして、モーターヘッドと呼ばれる巨大人型戦闘兵器を駆る。
一方、地球を大きく凌駕する科学技術を持っているはずのこの世界では、いまだに地を這うようにして生きている貧しい人々も多いようだ。かれらは騎士とファティマを主人公とするこの物語にはほとんど登場しない。あくまで地に暮らし、虫のように生き、そしてときに無残に殺されていくばかりである。
つまり、ジョーカーの社会は地球の南北問題をもしのぐ巨大な人種格差が存在するウルトラ格差社会なのである。これは遺伝的能力差に起因する問題であるため本質的に解決不能で、ある種の「ノブレス・オブリージュ」精神によってバランスが取られているようだ。騎士や貴族たちは一般人よりはるかに重い責任を背負い、いざ戦いとなれば先陣を切って戦場へ赴かなければならないのである。
特に騎士の負う宿命は重い。騎士に生まれたものは、戦わないことを選ぶことは許されない。もし騎士に生まれながら騎士であることを拒むものが出た場合は、薬殺処分されることが「星団法」で決定されているらしい。
騎士にとっては戦いそのものが人生であり、「ひとを殺さないことが悪」、それが騎士の倫理なのだ。つまり世間一般のあたりまえのものとは逆転したモラルを背負い、永劫の戦いを続ける宿命を背負っているのが騎士である。かれらはファティマとモーターヘッドを所有する権利をもつ特権階級ではあるが、その騎士のあいだでも大きな実力差があることは物語のなかでくりかえし描かれている。
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