万能感とは何か―「自由な自分」を取りもどす心理学 (新潮文庫)

 思うのです。よく中二病をこじらせている奴が笑われることがあるけれど、ほんとうに危ないのは中二病や高二病よりそれを笑っている奴の方であると。なぜなら、中二病なんていつかは「卒業」するものだけれど、ひとを笑うことの万能感は大人になってもなかなか卒業できないからです。

 そう、この「万能感」という病理こそはひとの悪口をいったり、あざ笑ったりするときの最大のリスクです。一見するとネットでひとの悪口を書き散らしたところで何のリスクもないようだけれど、そうではないと思う。

 そういうことを繰り返していると、ひとの心はやっぱり病に蝕まれていくものなんじゃないかと。特にインターネットでは簡単に「そこらじゅうの愚か者たちをバッタバッタと斬り捨てていく完全無欠の自分」を演出できてしまうので、非常に危ない。

 ひとは自分自身を「だれかを一方的に批判する立場の人間」と定義するとき、いちばん卑劣になっていくものなのです。そう定義する以上、行動や言動にブレーキがかからないからね。

 もちろん、ネットでもあまりとんでもないことを書いていると批判されます。しかし、Twitterならまだしもそういうことがあるものの、どこかの荒れているコメント欄に匿名で書き散らしたり、はてなブックマークで適当なことを書くぶんにはほとんどその可能性はない。ある意味では「無敵」です。

 こういう状態だと、ひとは簡単に万能感をこじらせます。世の中はバカばっかりで、自分だけが途方もなく賢くてセンスが良くて批評家精神を備えている気がしてくるのです。自分では何ひとつ物事を成し遂げたわけではないのに、ですよ。

 しかし、そうやってネットで万能感を満たして現実世界に帰れば「きっと何者にもなれない」自分がいるわけですから、ネットで「活躍」すればするほど、リアルとの乖離は進んでいくことになります。そうしてそこから逃避するためにさらにネットにハマっていく、と、このループを繰り返しているひとがどれだけいることか。

 しかもループすればするほどに状態は悪くなっていくわけだから、どこかで抜け出さないと人生を破綻させることにもつながりかねません。だれよりも自分のために、ネットで「賢くて偉い批評家の自分」という虚構を演じることは程々にしておいたほうがいいと思うわけです。ま、人間、そんなふうに割り切れるものではないんだけれどね。

 で、そういうお前はどうなんだ、といわれたら、はい、そのとおりでございます、としかいえないですね。ぼくも相当やばい立場にいると思う。