作品についての自分なりの感想を混ぜながらコメントさせて貰うと、それぞれの作品内で正義の普遍性という事と同じくらい重要なのが、人間の視点としての限界を抱えながら自分なりの正義を貫く事と他者理解の両立を図っているのがあると思う。 勝手な解釈かもしれないが、攻殻では文字通り思念を融合するスレスレまで行くところにも手を出してるわけだし。 だけど、結局最後は個人に引き戻されるから、そこは常に往復可能な領域というのが前提なんだろうけど。 それで、正義が伝播しづらくってのは多分に、他者の主観の前に当たり前だけど、自分の主観があるから生じる齟齬で、違う正義は悪意とは言わないまでも、邪魔なモノにはなる。 そこでもう一回他者とを分かつ何かだろうけど、それが物理的なデバイスとしての脳みそ。目的的には語ってないけど、最後に信じられるモノとして自分というのを考えるとその容れ物としての脳みそに絶対性が帯びてくるというのが攻殻だったと思うし。その伏線として、正義も用意されていたのかなと。 結論としては身も蓋もないけど、対話可能性が残されているかが正義論でも重要でしょ。 常に内省と対話が出来る可能性があるから、それが正義として機能する説得力を持つわけだし。その行ったり来たりが人間の物理的な限界故に究極的には難しいというのは、確かにどの作品にもあったけど。 東のエデンではあえて難しさを全面に示したという風に見えた。攻殻の場合、最低限のインテリゲンチャというのが確保されてた、主要なプレイヤー同士では、ようだったし。あくまで大雑把な言い方だけど。 独善的でない正義というのをいつでも使えるように、色々磨かないとマズイですねというのが自分なりに神山さんのから学んでいた教訓ですけど。攻殻だったら、常に攻性であれ、みたいな。
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作品についての自分なりの感想を混ぜながらコメントさせて貰うと、それぞれの作品内で正義の普遍性という事と同じくらい重要なのが、人間の視点としての限界を抱えながら自分なりの正義を貫く事と他者理解の両立を図っているのがあると思う。
勝手な解釈かもしれないが、攻殻では文字通り思念を融合するスレスレまで行くところにも手を出してるわけだし。
だけど、結局最後は個人に引き戻されるから、そこは常に往復可能な領域というのが前提なんだろうけど。
それで、正義が伝播しづらくってのは多分に、他者の主観の前に当たり前だけど、自分の主観があるから生じる齟齬で、違う正義は悪意とは言わないまでも、邪魔なモノにはなる。
そこでもう一回他者とを分かつ何かだろうけど、それが物理的なデバイスとしての脳みそ。目的的には語ってないけど、最後に信じられるモノとして自分というのを考えるとその容れ物としての脳みそに絶対性が帯びてくるというのが攻殻だったと思うし。その伏線として、正義も用意されていたのかなと。
結論としては身も蓋もないけど、対話可能性が残されているかが正義論でも重要でしょ。
常に内省と対話が出来る可能性があるから、それが正義として機能する説得力を持つわけだし。その行ったり来たりが人間の物理的な限界故に究極的には難しいというのは、確かにどの作品にもあったけど。
東のエデンではあえて難しさを全面に示したという風に見えた。攻殻の場合、最低限のインテリゲンチャというのが確保されてた、主要なプレイヤー同士では、ようだったし。あくまで大雑把な言い方だけど。
独善的でない正義というのをいつでも使えるように、色々磨かないとマズイですねというのが自分なりに神山さんのから学んでいた教訓ですけど。攻殻だったら、常に攻性であれ、みたいな。