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冤罪か? セカンドレイプか? 高畑裕太さんの事件でネットの正義を考える。

2016/09/12 06:08 投稿

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 先日、強姦致傷の罪で逮捕され、数日前に不起訴処分に終わった俳優の高畑裕太さんに関する以下の記事が興味深いです。


 この記事では、高畑さんの弁護士が発表したコメントを受けて、以下のように記しています。

弁護人が、不起訴処分になった事件についてこのようなコメントを出すのは異例だ。そうでもしないと、「強姦魔が、金に物を言わせて、被害者と示談し、処罰を免れた」というような憶測に基づくバッシングが続くことが懸念されたからであろう。弁護人としては、「被害者」側の了解がなければ、このようなコメントはできないはずだ。被害者との間での示談も、実質的には、「強姦」というほどの事実ではなかったことを被害者側が認めた上で行われた可能性もある。

高畑氏及び弁護人の側が、そのような懸念を持つのも当然と思えるほど、同氏の逮捕以降の報道は異常だった。「人気俳優が重大な性犯罪で逮捕された」として、連日、ワイドショー等でも大々的に取り上げられた。この時点で、客観的に明らかになっていた事実は、「強姦致傷での逮捕」だけであり、それ以外に、本人や弁護人のコメントはなく、「容疑を認めている」という情報についても、警察の正式コメントか否かも不明であった。

にもかかわらず、逮捕が報じられた後、「俳優高畑裕太が悪質重大な強姦を犯した極悪非道な性犯罪者」だということが、ほとんど確定的事実のように扱われ、母親の高畑淳子氏が記者会見の場に引き出されて、300人もの記者から過酷な質問・追及を受け、その場面での高畑淳子氏の発言までもが事細かに取り上げられていった。

しかし、報道されていた断片的な事実などからすると、果たして、強姦致傷の事実があったか否か自体が、疑問な事案であると言わざるを得ない。強姦の被害申告をしてきたのが、被害者本人ではなく、被害者の「知人」であるというのは、あまり一般的ではない。通常であれば、他人には明らかにしたくない事実であって、それが、事件後短時間の間に知人に話し、その知人がすぐに被害を届け出ている。また、態様にしても、ビジネスホテルの客室という周囲に音が聞こえやすい場所なので、被害者が抵抗したり、大声を出したりすれば、すぐに周囲に発覚するはずだ。なぜそのような場所で「強姦」をしようとしたのか、疑問がある。

 ようするに高畑さんがほんとうに強姦を犯したのかどうかはわからない、ということです。その行為はあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 したがって、マスコミは「推定無罪」の原則にのっとり、一方的に高畑さんを「邪悪な性犯罪者」とみなして報道を過熱させたりするべきではない案件であった、ということがいえます。

 そして、現時点での客観的な事実としては、事件が示談に終わり、不起訴処分であったということがある。また、示談がなくても不起訴処分に終わった可能性も高いということもいえる。

 ということは、マスコミは異常な報道を反省し、特に過剰な言説に関してはいまからでも是正していくべきである、ということだと思います。まったくの正論であり、その通りだと思います。

 ぼくは何も「強姦」の事実などなかったに違いない、といいたいわけではありません。事件が示談に終わった以上、真実は第三者にわからないとしかいいようがないわけです。

 そして、わからないからには、一方的な正義を振り回してだれかを攻撃するべきではない。あたりまえのことです。マスコミといえど、ただの「疑い」でひとりの人間の人生を粉砕する権利はないのですから。

 ところが、この記事のコメント欄には、こんなふうな意見が並んでいたりする。

おっしゃる通りです。真実はわかりませんが、私はこれはお金目当ての美人局だと最初から感じていました。その理由は高畑裕太さんが寝ているときに逮捕されたことからです。犯罪者は逃げる、誰かに相談する、自首するのいづれかではないでしょうか。合意だったから寝ていたのだと感じました。また警察への通報と診断書の提出が早過ぎる。まるで用意していたかのごとく。

高畑裕太さんに罪があるとするなら、安易に女性の口車に乗ったことでしょうか。しかし若い人気者のがある面合意ならあり得るかと。

お金目当てで彼の人生を潰した被害者と言われる女性とその仲間には法的な罪はないのでしょうか。

被害者を美人局だなどと言おうものならセカンドレイプだ、言った人間もレイプ犯だと決めつけるネット住民。

マスコミに慰謝料、損害賠償請求などできないとものかと忸怩たる思いが残ります。

 いやいやいやいや。待って待って待って。この事件が「お金目当ての美人局」だなんて、この記事にはどこにも書かれていないでしょう。

 たしかに、その可能性を疑おうと思えば疑えますが、真実はわからないのです。わからないことを一方的に決めつけてわかりやすい正義を振り回してはいけないということは、先に書いた通り。

 その正義の制裁の対象が高畑さんであれ、「被害者」とされる女性であれ、同じことです。あるいは「強姦」の事実はほんとうにあったのかもしれないし、その場合、彼女を「お金目当ての美人局」扱いすることはまさにセカンドレイプにあたる。

 「被害者を美人局だなどと言おうものならセカンドレイプだ、言った人間もレイプ犯だと決めつけるネット住民。」とありますが、じっさいに「強姦」があったのかなかったのかはっきりしない以上、セカンドレイプの危険を避けるべきなのは当然のことです。

 高畑さんが「強姦」を犯していないかもしれないから、それではこの件は美人局に決まっている、その証拠に「被害者」の手際が良すぎる、などというのはまさに典型的なセカンドレイプのロジックです。

 ひょっとしたら、「被害者」は恐ろしくて声も出せなかったのかもしれないし、決然と事件を告発する意思を固めたのかもしれない。真相は灰色で、わからないわけですよ。

 だから、とにかくマスコミを含む無関係の第三者は慎重でなければならないはず。悪いのは高畑だ、いや「被害者」だ、と適当な憶測にもとづいて推理ごっこを繰り広げることはそれ自体が暴力です。

 たしかに、「灰色の決着」はもやもやする。だれが「悪」なのかはっきりして心行くまでそいつを攻撃できたらスカッとするかもしれない。しかし、それは人間として最悪の行為にほかなりません。

 少なくとも「マスゴミ」がどうこうとマスコミを蔑視するネット民なら、そういうことは避けるべきではないでしょうか。いや、避けるべきだなんていっても避けはしないだろうけれど。

 こういうことになるとつくづく思うのは、人間は物事を「善」と「悪」に分けてシンプルに考えたがるんだな、ということですね。

 ようするに知的なストレスに耐え切れないのだろうけれど、それがインターネットの「世論」の限界なのでしょう。燃え上がる都合のいい正義感に従ってだれかを攻撃することは得意中の得意だけれど、自分の行為を熟考したり反省したりすることはとても苦手なのです。

 ちなみに、この事件について検索してみたらこんな記事を見かけました。

 強姦致傷容疑で逮捕されていた俳優・高畑裕太さんが不起訴処分となり、9日に前橋署から釈放された件について、担当弁護士が報道各社にファックスで事件についての説明を行った(「高畑裕太さん釈放で担当弁護士がコメント…FAX全文」スポーツ報知)。

 高畑さんが不起訴・釈放となったのは、被害者女性との間に示談が成立したことが大きいだろう。しかし示談が成立したあとで、「私どもは高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません」と弁明しながら、声明を出すことには疑問を禁じ得ない。「被害者とされた女性」の言い分はまったくわからないまま、一方的に、「加害者とされた男性」(対になるのはこの言葉だろう)の一方的な言い分を発表することは、どういうことだろうか。

(中略)

 また示談を受け入れたことが、事実関係の否定を意味するわけでもけっしてない。事件で混乱し、疲れ切っているときの示談交渉は、本当につらいことだと聞く。「自分のせいで誰かの人生を狂わせていいのか」「私の被害がそこまで大きな意味をもっていいのだろうか」ということを、被害者が考えさせられること自体が、暴力的であるとさえいえる。狂わされているのは、被害者の人生であり、事件が被害者にとって大きな意味をもつことは、事実であるにもかかわらず。


 いや、だから、「強姦」の事実があったかどうかはわからないのですって。「示談を受け入れたことが、事実関係の否定を意味するわけでもけっしてない」ことはたしかだけれど、同時に「事実関係」の「肯定」を意味しているわけでもない。

 そもそもその「事実関係」というものが正式な警察発表ですらないらしいのです。たしかに「強姦」がなかったと決めつけて「被害者」女性を攻撃することは赦されないことは当然です。

 それはまさにセカンドレイプです。しかし、それと同様、「強姦」はあったに違いないと決めつけて「加害者」男性を攻撃することも赦されない。それを日本語では「冤罪」というのです。

 事件が示談に終わった以上、第三者は無用な決めつけを避け、「もやもやした気持ち」を白や黒に染め上げて他者を攻撃したい気持ちを抑え込まなければならないということ。

 この記事を書かれたのは武蔵大学社会学部の教授だそうだけれど、推定無罪の原則を知らないのでしょうか。

 この人はたぶんセカンドレイプの危険性については十分に考慮しているのでしょう。それはいい。しかし、その一方で冤罪の危険性については徹底的に無頓着だとしか思われない。

 もし「強姦」が事実ではなかった場合、この人は自分の意見にどのような責任を取るつもりなのでしょうか。

 そんなことはありえない? なぜそういい切れるのか。女性は常に被害者で、男性は常に加害者だというものではない。これは男性が常にだまされる側で、女性が常にだます側だと限ったものではないことと同じ。

 とにかく、よくわからないことを憶測で推理して決めつけてはいけないのだということです。こんな記事もあります。

弁護人のコメントでは、このような内容のコメント発表について、被害申告をした女性の了解を得たかどうか、何も触れられていないが、事前に女性の了解はあったのだろうか。

コメント自体からは不明であるが、①もし了解を得ていれば、「了解を得ていないのではないか」という疑念を抱かれないよう、通常は「了解を得ている」ことを明記するであろうがその記載がないこと、②内容自体が、被害申告をした女性が了解するとは容易に考えづらいものであること  の二つの理由から、女性の了解を得ていなかったことを私は懸念している。

もし、コメント発表について、女性の了解を得ていなかった場合、この弁護人のコメントは、その女性に対し著しく配慮を欠く不適切なものと言わざるを得ない。

(中略)

コメント発表について女性の了解がなかったとすれば、ではあるが、示談というのは「これで事件は終了」ということなのに、その後に、事実認識の相違を蒸し返され、報道に、一方のみの認識に基づくコメントが報じられるというのはあまりに不健全な状況であるし、相手の女性にも対等に、コメント発表の場が与えられていたわけでもないのだから、フェアではないだろう。

更にいえば、示談成立後にこのように蒸し返すようなことを弁護士から言われるのでは示談には応じたくない、と、他の犯罪の被害者に感じさせてしまい、刑事弁護の業務一般にも悪影響を及ぼしかねない(そのようなこともあり得るから、コメント発表につき女性の了解を得ていたなら、そのことをコメントに明記するはずではないかと思うのだ)。弁護人はそのようなことは考えなかったのだろうか。

本件については報道が過熱し、インターネット上での女性のプライバシー詮索も目に余るものがあり、事案の具体的経緯は不明ながら、女性の日常生活が一変した日々だったであろうことは想像に難くない。一日も早く平穏な日常を取り戻されるよう心から願う。


 一理あると思います。しかし、ここで女性の了解があったかどうかもあくまで「わからない」のです。

 ここでは「女性の了解を得ていない」と考えるための根拠が記されていますが、女性が了解していたと考える根拠も存在します。女性側の弁護士が抗議していないことです。

 また、常識的に考えて弁護士が相手の了解を得ずこのようなコメントを行うとは考えがたいということもいえるでしょう。そうである以上、仮定にもとづいた推論はあくまで仮定の域を出るものではありません。

 また、「示談というのは、「これで事件は終了」ということ」だと書いてありますが、しかし、いくら示談を終えても、そのままでは高畑さんは「犯人」扱いされたままなのです。まさにこの記事のなかで実質的にそう扱われているように。

 それは正しいことではないでしょう。弁護士がこのような異例の声明を出した背景にあるものを考えるべきだと思います。

 それにしても、こういうふうにいろいろな意見を読んでいくと、物事を中立の立場で客観的に考えることのむずかしさに思い至ります。

 「被害者」女性の味方をすれば、「加害者」の高畑さん及びその弁護士は悪党に見える。一方で「加害者」のほうに味方すれば、「被害者」はうさんくさく見えてくる。

 あるいは、セカンドレイプについて普段から懸念している人はその危険性を考える。そして、冤罪についていつも考えている人はその問題性を考慮する。

 しかし、いずれにしろ灰色の現実を白か黒かに塗り分けて考えていることに違いはないのです。

 「冤罪」と「セカンドレイプ」、どちらが悪いか? どちらを避けるべきか? そんなもの、どっちも悪くて、どっちも避けるべきに決まっている。

 しかし、人間にはそれができないんだなあ。なんとなくの印象で(「加害者の目つきが怖かった」、「被害者は40代」)適当に「善」と「悪」を振り分けて攻撃する。それは、オタクは犯罪者予備軍だ!っていうのとどう違うのか、ぼくにはわかりません。

 それがマスコミの暴走であり、そしてインターネットの「正義の味方」たちの正体です。人間なんて、そんなものなんですよ。自分を善人だと思い込んで「悪」を攻撃するのが大好き。これが、永遠に変わらない人間の本質です。

 この世で「善人」ほど醜悪なものはない、ということ。

 うんざり。
 

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