この作品がSFかそうでないか、について。エントロピーという概念を持ち出して、作品に変化を与えている。この概念の導入がSFチックではあるが、だからといってそれが作品全体を通してSFだと言いきれない面が有る。というか、もし作品に変化球を投げ込む為に用いられたエントロピーという概念をこの作品にトコトン当てはめて考えてみると、至る所に矛盾が生じてくる。目くらましは目が慣れてしまえば通用しない。人間の感情が宇宙のエントロピーの法則を凌駕するという作品世界の解釈に従ったとしても、その矛盾は直ぐに顔を出す。キューべぇは感情を持たないと説明する。 しかし、極めて稀な精神疾患として存在する事も認めている。これは感情を持たないのではなく感情の起伏が乏しいと言うべきではないか?まぁそこは重箱の隅である。それよりも、キューべぇは魔法少女の希望と絶望の相転移が生み出すエネルギーをどう宇宙の延命に利用するのか。そもそも、宇宙を延命することが使命であるとするキューべぇは何故そう思うのか。感情がないのなら宇宙が枯れ果てても受け入れるはずだ。それが理だと達観しなければつじつまが合わない。 つまり、やはりこれはSFではないのだ。話の流れに変化を与えるスパイスだと考えるべきなのだ。 決め球のストレートを速く見せる為の、直前の変化球、それがSFチックな概念としてのエントロピーなのだ。
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この作品がSFかそうでないか、について。エントロピーという概念を持ち出して、作品に変化を与えている。この概念の導入がSFチックではあるが、だからといってそれが作品全体を通してSFだと言いきれない面が有る。というか、もし作品に変化球を投げ込む為に用いられたエントロピーという概念をこの作品にトコトン当てはめて考えてみると、至る所に矛盾が生じてくる。目くらましは目が慣れてしまえば通用しない。人間の感情が宇宙のエントロピーの法則を凌駕するという作品世界の解釈に従ったとしても、その矛盾は直ぐに顔を出す。キューべぇは感情を持たないと説明する。
しかし、極めて稀な精神疾患として存在する事も認めている。これは感情を持たないのではなく感情の起伏が乏しいと言うべきではないか?まぁそこは重箱の隅である。それよりも、キューべぇは魔法少女の希望と絶望の相転移が生み出すエネルギーをどう宇宙の延命に利用するのか。そもそも、宇宙を延命することが使命であるとするキューべぇは何故そう思うのか。感情がないのなら宇宙が枯れ果てても受け入れるはずだ。それが理だと達観しなければつじつまが合わない。
つまり、やはりこれはSFではないのだ。話の流れに変化を与えるスパイスだと考えるべきなのだ。
決め球のストレートを速く見せる為の、直前の変化球、それがSFチックな概念としてのエントロピーなのだ。