マツダ靖&ゆとりの『ちいさい奥さま』を読んでいます。
ゲームオタク漫画の秀作『ちいさいお姉さん』の続編というか、姉妹編ですね。
作中の問題らしい問題はほぼ前作で解決してしまっていて、今回はただひたすら主人公たちが、いちゃいちゃ、いちゃいちゃ、いちゃいちゃするだけの漫画になっているのだけれど、これが面白い。
いったい何が面白いのだろう。たぶん、主人公たちにオタクらしいルサンチマンが一切見られないあたりが良いのだろうな、と思います。
これは『ヲタクに恋は難しい』と一脈通じるところでもあるのだろうけれど、オタク特有のわけのわからない選民意識とか、その反対の激しい劣等感とか、そういう余計なものがまるで見あたらないあたりが素晴らしい。
ただひたすらに幸せなオタク新婚ライフ。じっさいにこういう生活を送っている人もたくさんいるんだろうなあ。
めちゃくちゃうらやましい。ぼくも結婚したい。もう無理かな……。とりあえず収入を増やさないとな……。
いや、そういう生々しい話はいいのだけれど、とにかくよい漫画です。
こういう作品を読むと、ほんとうにオタクも変わったのだなあと思いますね。
辺境の民だったはずがいつのまにか中央からひとが流入していたというか。
「選ばれなかった者の恨みつらみ」みたいなものはもうまったくなくなってしまった。
ぼくはそういう変化を基本的には「良いこと」であると思っています。
昔のオタクは知的だったけれどいまはただの凡人になってしまった、みたいな言説はあきらかに幻想を拠り所にしています。
昔の知的なオタクってだれのことでしょう。思い浮かぶ名前は、だれもかれもそんなにインテリジェントには思えません。
だから、「オタクのライト化」という現象は、基本的には「良いこと」であって、歓迎すべきものである、ぼくはそういうふうに考えているのです。
ただ、すべてが完全に良い方向へ進むということはありえないので、その変化のなかで「失われていくもの」もまたあるはずではあります。
その「失われたもの」とは、おそらく「世間に適応できなかった人たちの居場所」みたいなものでしょう。
そういえば、コミケの昔といまに関する、こんな記事を読みました。
今の同人誌即売会しか知らない人には信じられないかもしれませんが、昔は島中(サークルの壁ではなく零細~中堅が配置される中央部分)でどこの誰が焼いたのかも判然としないクッキーが回ってきて、それを皆で食べたりとか、大手の本が買えなくてガッカリしている所を、前に並んでいて買えた人が「良かったら読みますか?」なんて言ってくれて、その場で読ませてもらったりとか、一般参加で並んでいる時に全然知らない人同士で話し込んでお互いの水筒に淹れてきた紅茶やスープを交換したりしてたんですよ。そういう「同じ世間から爪弾きにされたもの同士」みたいな妙な連帯感があって、誰かが困っていたらすぐに助け合う(でも、ベタベタと余計な干渉はしない。その場限り)みたいな空気、自分はここにいていいんだという安心感を返してほしいと思っているだけなんです。(それが無理な願いであることは、重々承知しています)売り上げ云々ではないんですよ。
それはたしかにそうだろうなあ、と思うのです。
いまのコミケは、というかオタク界隈は、もう「世間から爪弾きにされた者」の居場所ではありえないことでしょう。
まあ、オタクが
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コメント
海燕
(著者)
(著者)
さすがにむずかしいかとw
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(ID:27097551)
海燕氏が音頭を取ってはぐれ者たちの居場所を作るというのを考えたのですが、いかがでしょうか。