弱いなら弱いままで。

劣等感が才能を殺すとき。平均点コンプレックスから脱出せよ。

2016/05/02 13:21 投稿

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任天堂の岩田前社長が残した言葉
「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」
感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います。

つまり、人は苦労して何かを身に付けると、それにすごい価値があると思い込みたがります。
でも実は自分は何気なくやってるけど他の人は結構苦労してる物があって、それこそが「金になる」本物のスキルだということです。


 これ、ほんとうにそうだと思うのですよね。

 努力が無意味だとはまったく思わないけれど、自分が向いていることで努力するのが建設的ではあるはず。

 短所をのばして平均点にたどり着こうとするよりも、長所をさらにのばして「金になる」レベルを目指すほうが合理的。

 ただ、ひとは往々にして自分の短所にコンプレックスを抱いているので、その部分をなんとかしようと労力をそそぎこんでしまう。

 苦手なことはいっそあきらめて得意なことで勝負するほうがうまくいく可能性は高いのに。

 ぼくの場合、「自分は何気なくやってるけど他の人は結構苦労してる」分野とは「書くこと」なのですが、ほんとうに書くことにはまったく労力がいりません。

 もちろんひとが読んで面白いことなりひとを強く惹きつける文章を書くためにはそれなりに苦心が必要になるのですが、ただ書くだけならそれこそいくらでも書ける。

 自分に書く才能があるとは思わないけれど、たとえば「話すこと」と比べると歴然と周囲の評価が違うのはたしかです。

 ぼくが会話で立身するのは恐ろしく大変でしょうが、執筆では一応はお金を稼げている。

 この差はなんなのかといえば、やはり書くことにはそこそこ適性があり、話すことにはまったくない、と考えるしかないと思います。

 そういう意味でぼくにはブロガーという仕事は向いているのでしょう。

 しかし、ぼくはいまでも自分は社会人としてまともではないというコンプレックスがあります。

 やっぱりできるものなら普通に会社に通って給料をもらいたかったという気持ちがどこかにある。そんな生き方はまったく向いていないにもかかわらず。

 ひとってやっぱりそういうものなのでしょうね。自分の短所、ひとより劣るところにこそこだわってしまう。

 いかにしてその気分を切り捨てて、ストロングポイントに力を注ぐかということが、人生を決めるような気がします。

 もう少しわかりやすくなるように学校の勉強に喩えてみましょう。

 たとえば、国語70点、数学70点でも、国語100点、数学40点でも、平均点は同じ70点です。

 しかし、前者の人に比べて、後者の人は何かしらのコンプレックスを抱きがちではある。

 「自分は数学の能力がない」というところを気にしてしまって、国語で100点を取れていることに注目できなかったりするのです。

 なぜそうなるのかといえば、国語で100点を取れることはその人にとって「あたりまえ」だからです。

 ほんとうは100点を取れるなんてすごいことであるわけですが、その人は「特に苦労もなく国語で100点を取れる」ためにそれがすごいことであるとは思わないわけです。

 むしろ、「数学で40点しか取れないこと」をぐじぐじと気にしてしまうことが多い。

 たしかに受験で受かるためにはある程度の平均点をたたき出す必要があるかもしれない。

 しかし、 

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