「ずっと二次元さえあれば生きていけると思ってた」という匿名記事を読みました。

http://anond.hatelabo.jp/20160421025800

 ずっと二次元(のエロゲ)さえあれば生きていけると思っていたけれど、この頃は寂しくなってきた、と「普通」に生きられない自分を嘆く内容です。

 いかにも典型的なオタクの嘆きのようだけれど、じっさい読んでみたところ、オタクはあまり関係ないな、と思いました。

 むしろ非コミュの問題でしょう。まわりの「普通」の生き方にあこがれながら、しかしそれは自分にはできない、あまりにもストレスフルすぎると考える。

 現実に対して矛盾した心理を抱いているわけで、これは辛いだろうな、と思います。

 しかし、実は記事そのものよりも、それに対する反応のほうが興味深い。

 つくづく思うのだけれど、ひとはだれかから「苦しい」といわれると、即座に「お前の苦しみなんて大したことない」とか「そんなに苦しいはずがない」といって否定しにかかるものなのだな、と。

 本人が苦しいといっているのだから苦しいのだろうと認めてやってもいいはずなのに。

 たぶん、だれかに「苦しい」といわれると、自分の苦しみを否定されたように感じるのでしょう。

 「自分のほうがもっと苦しいんだ!」、「この程度のことで苦しいなんていうな!」という対抗心が生まれる。

 苦しみはひとそれぞれで、比較なんてできるはずもないのにね。

 ひとの苦しみを否定するのでもなく、何かしらの「解決法」を提示して自己満足するのでもなく、そのままに寄り添うことはかくもむずかしいということでしょうか。

 それにしても、「二次元は心の隙間を埋めて癒してくれるが、温もりは与えてくれなかった」とは、けだし名言です。

 たしかになあ。抱き枕にほっかいろをくっつけて「ぬ、ぬくもりだ」とかいってもむなしいだけだものなあ。

 風俗へ行け、というお約束のツッコミもあるようですが、この人は傷つくのが怖いので、それもしたくないということのようです。重症ですね。

 きのう読み上げた『はじめての不倫学』の言葉を引用させてもらうなら、この人が充足させたいのは「性欲」ではなく「性交欲」なのでしょう。

 ただ単にからだを合わせるのではなく、ひととつながりあい、混ざりあい、ぬくもりを味わい、精神的に充足したいという欲望。

 ひとが多くの場合、恋愛に求めるもの。

 ゆえに、風俗産業では満たすことができない。

 もちろん、