あの映画監督に対する菊地さんの(顔合わせの場でのやりとりも含めた)評言は以前にも読んだことがあったのですが、 “大いに濡らしていたと思う” 件については初めて知りました(笑)。俗に言うSとMのどちらがどちらにサーヴィスしているのか系の与太話を通り越して、「音楽に対し侮辱的でしかいられない映画監督が自身に対して拒絶的な音楽家の態度を通して快感を得る」という図式は、フロイド的にも納得はできますが凄いことですね。そりゃあ自家中毒になるのかも。 「自作の仕事を通して現場をイヤにすることで快感を得る(?)」ことの反復がやめられなくて、音楽の扱いさえもがその一部として取り込まれてるだけなのだとしたら、確かに一筋縄ではいかないグロテスクがあります。出演者たちにもPTSDの痕跡が及んでいるのでしょうか(少なくともあの監督の映画に出て得をしたと思える出演者はひとりもいませんが、とくに役所広司)。 私は菊地成孔さんのテキストを通して「ポップ侮辱にも様々なグレードがある」という事実を学ばせていただいたつもりなのですが、今回の記事は「ポップ侮辱」をやっちゃった者の臨床と/自分がやらかさないための方策が同時に述べられているように思いました。SNS的な“まず敵意の有無、悪意の有無を過敏にチェックし、安全だと思わないと何もしない” 心性の裏では、「自分が好きで夢中になっているものにはどのような思い入れでも述べるし、それが結果として侮辱になっていても気付けない」心性が同時に育っているのかもしれませんね。
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(ID:28386738)
あの映画監督に対する菊地さんの(顔合わせの場でのやりとりも含めた)評言は以前にも読んだことがあったのですが、 “大いに濡らしていたと思う” 件については初めて知りました(笑)。俗に言うSとMのどちらがどちらにサーヴィスしているのか系の与太話を通り越して、「音楽に対し侮辱的でしかいられない映画監督が自身に対して拒絶的な音楽家の態度を通して快感を得る」という図式は、フロイド的にも納得はできますが凄いことですね。そりゃあ自家中毒になるのかも。
「自作の仕事を通して現場をイヤにすることで快感を得る(?)」ことの反復がやめられなくて、音楽の扱いさえもがその一部として取り込まれてるだけなのだとしたら、確かに一筋縄ではいかないグロテスクがあります。出演者たちにもPTSDの痕跡が及んでいるのでしょうか(少なくともあの監督の映画に出て得をしたと思える出演者はひとりもいませんが、とくに役所広司)。
私は菊地成孔さんのテキストを通して「ポップ侮辱にも様々なグレードがある」という事実を学ばせていただいたつもりなのですが、今回の記事は「ポップ侮辱」をやっちゃった者の臨床と/自分がやらかさないための方策が同時に述べられているように思いました。SNS的な“まず敵意の有無、悪意の有無を過敏にチェックし、安全だと思わないと何もしない” 心性の裏では、「自分が好きで夢中になっているものにはどのような思い入れでも述べるし、それが結果として侮辱になっていても気付けない」心性が同時に育っているのかもしれませんね。