菊地成孔(著者) のコメント

userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>2

 ぐわー、そうです

 「暗黒の饗宴(うたげ)」 ×

 「地獄の饗宴(うたげ)」 ○です

 謹んで訂正します。あの物語、主人公が最後に死すけれども、暗黒どころじゃなくて、地獄なんですね笑(というか、原作小説のタイトルの可能性が高いですが)。

 訂正ついでに補足すると、ドミューンのWOPで言った通り、「勝手にしやがれ」は、公開当初「ギャングもの」として認知されており(まあ、間違いではないけど笑、どっちかというと「無軌道な若者がギャングになってしまい、知り合って恋になりかけた女性がチクって警官に射殺される」やつ。ということになりますが)、本作も、明らかにその影響下にあります。「勝手に」は日本公開が60年で、「地獄」は62年なんで、「観て影響される時間」は充分にあります。「勝手に」は大ヒットしたので。

 なので、これは状況証拠があるだけの推測ですが、「逆に」ゴダールはパリのフィルムセンターか何かで、「地獄の饗宴」も「秋津温泉」も観ていた可能性があります。証明する物質的なソースは僕にはないけど、心理的なソースはあります。ゴダールは引用の現代性に取り憑かれていたので、自分の作品が引用されている作品を探していた可能性が非常に高いです。そして、見つけたら、さらにその作品から逆引用する、ということをしそうなパーソナリティです。

 前述ドミューンのWOPでも言いましたが、明らかなオマージュ、パロディも含む「影響関係」は、明らかだったり、その対象が有名だった李、本人が明言したり、という場合、すごく「探しやすい」ですね。でも、チャーリーパーカーのそれがどうであったように、あらゆる引用性には、「まだまだ全然油断できない」とするのが21世紀の物の見方ですね。

 引用性、影響関係は、見つけると、まず第一には喜びという快感があります。ここは重要です。実際に、「最後の方の帽子→<北の国から>の田中邦衛」の指摘は、会場が湧き、おそらくTwitterも湧いたのではないかと思います。

 ただ、せっかく湧かれたのに水挿してはいけないですが、田中邦衛が「日本のベルモンド」として認識されていたのは60年代の日本では前提的認識で、「今日まで誰も気がついてなかった物件」ではないです。

 なので僕が強調したかったのは、「<勝手ににやがれ>のベルモンドは、ガリガリの細マッチョで、それが5年後の<気狂いピエロ>では、パンプアップされた筋肉美になった」という事実と、「<若大将のファーストトリロジー(「大学の若大将」「銀座の若大将」「日本一の若大将」→東宝はこれで完結を予定していました。製作、公開は62年と63年)>での田中邦衛はガリガリの細マッチョだけれども、シリーズが爆発的にヒットし、継続が決まり、興行収益がシリーズ内2位の「エレキの若大将(これもいうと驚かれる物件ですが、この段階でもまで「君といつまでも」はありません)」になった時には、ベルモンド揃えで、きっちりパンプアップしている」ということなんですよね笑。

 ベルモンドは、「勝手に」から「気狂い」の間に、ド・プロカの「〜の男」シリーズで体を張ったアクションをやり、のちに(町山さんの指摘通り)ジャッキーチェン型のアクション俳優として成功する、という、パンプアップしたことの物証があります。

 一方田中邦衛は(以下とても重要笑)、若大将のファーストトリロジーでは、「金持ちのボンで遊び人なんで、サークル活動はしていない」んですが、(以下はさほど重要ではない)「エレキの若大将」の、加山雄三のサークル活動は軽音楽部ではなくアメラグ部で、この作品から、(以下重要)青大将はキャラの一部を変え、必ず若大将と同じサークルにいる設定になります。アメリカンラグビーは、苛烈な競技で、ガリガリではできません。作品中、練習と試合のシーンは、本人が演じます」というパンプアップの物証があります。

 さてこの両者の身体の変化は、偶然なのか、歴とした影響関係にあるのか?これを妄想して調べるのが、人間の生きる喜びの一つですね笑。ドミューンはああいう媒体なので、「まあ、届きづらいだろうな(自分が知ってる件→田中邦衛は「北の国から」だけが実体験。に対する脊椎反射的な快感が場を制覇するだろうから=実際そうなりました。それは悪いことではなく「ポップ」なこと、と言えるでしょう。「自分が知ってるからこその脊椎反射」が「ポップとして」悪かどうかは、ちょっとわかりませんが)」とは思いましたが、まあまあまあ、そういうことです。

 

 

No.5 18ヶ月前

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