>>7 「歌詞、間、あり」はヤバイですね笑、乙羽信子のがヤバイですけど(あれは、増田キートンが殺して食ってしまった猫の生まれ代わりでしょう)。 「喜劇人の謎の東北弁」は、それまでの喜劇王だったエノケン(実家は青山です)やロッパが、非常に綺麗な江戸弁をネイティヴとし、いい加減な「地方弁」をコミカルに使っていた、という流れ(これを汲んでるのが、フランキーや渥美、森繁ですが)に対し、伴淳(山形県米沢市)と由利徹(宮城県石巻市)の「ネイティヴ東北弁」の強さが戦後に炸裂したことが大きいでしょうね。 因みに、それまでの日本映画には公用語が2つしかありませんでした。大阪弁と東京弁です。これを最初に完璧にモノにした、と言われているのが天才森繁で、多くの喜劇人がそれに続きましたが、同じく天才、藤田まこともかなりの線まで行ったものの、60年代までは、東京弁の方に、ちょっとなまりが残っていました。 ネイティヴにはネイティヴの、架空には架空の強さがあります。それは音楽においても非常に重要ですね。
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(著者)
>>7
「歌詞、間、あり」はヤバイですね笑、乙羽信子のがヤバイですけど(あれは、増田キートンが殺して食ってしまった猫の生まれ代わりでしょう)。
「喜劇人の謎の東北弁」は、それまでの喜劇王だったエノケン(実家は青山です)やロッパが、非常に綺麗な江戸弁をネイティヴとし、いい加減な「地方弁」をコミカルに使っていた、という流れ(これを汲んでるのが、フランキーや渥美、森繁ですが)に対し、伴淳(山形県米沢市)と由利徹(宮城県石巻市)の「ネイティヴ東北弁」の強さが戦後に炸裂したことが大きいでしょうね。
因みに、それまでの日本映画には公用語が2つしかありませんでした。大阪弁と東京弁です。これを最初に完璧にモノにした、と言われているのが天才森繁で、多くの喜劇人がそれに続きましたが、同じく天才、藤田まこともかなりの線まで行ったものの、60年代までは、東京弁の方に、ちょっとなまりが残っていました。
ネイティヴにはネイティヴの、架空には架空の強さがあります。それは音楽においても非常に重要ですね。